岩尾 淳子


ゆふぐれの駅を降りれば欅けやき見ゆこんなきれいな帰宅あつたか

        池田はるみ 『亀さんゐない』短歌研究社 2020年

 

昨年の「未来」誌でこの歌に会ってから忘れられない。この歌があるというだけで、その月の「未来」が幸福感にあふれているようで、かけがえのないもののように思えた。

木の中でその姿がもっとも美しいといわれる欅。しかも季節ははなやぐ5月か6月の初めころか。日が長くなって夕暮れの空が響くように暮れなずんでいる。駅から外にでてみれば、みずみずしい欅の街路樹が迎えてくれる。まだやわらかな葉群を茂らせた欅のみどりが夕空に透けている。見ることによってはじめて見出された景がここにある。しかも、それは単に「景」にとどまらず、「きれいな帰宅」と抽象化されて生きている時間の中に深く刻印されていている。

構成もあざやか。上句はとても静的に景をとらえておきながら、下句は一転して動的。弾むような息遣いのある口調がダイナミックでもあり、いきいきと感動をつたえていて読むものの胸に迫る力がある。

駅という場所のはかない空気感も素敵に効果をあげている。一日中たくさんの人たちが行き合い、そして遠ざかってゆく場所。人々にはそれぞれ、ささやかな家があり、暮らしがあり、やすらぎを求めて帰宅してゆく。

本来〈帰宅〉とは、ざわつく外界からしばし身を離して、充足した自分のうちがわに降りてゆくことかもしれない。ああ、そんな幸福な〈帰宅〉がほんとうにあればいいんだけど。

日常は退屈だ。毎日、どこやらにでかけては疲れて帰ってくる。だけど、どんなに平凡な帰宅であっても、一本の欅と、ゆふぐれの空とが〈帰宅〉の意味を更新してくれる。それにスイッチをいれる目を持つことができるかどうか。見ることや想うことによって、平板な世界が立体的に変わってゆく瞬間。そこにはとても深い詩の力がありそうな気がする。

この歌まえに置かれた次の一首にも、引き込まれるようなあたたかな想念があり、歌の奥行きにふかぶかと見入ってしまう。

 

牡丹ぼうたんが散つてゐるのね しんしんと睡つたままの電車の中で