吉田 隼人


青嵐ゆふあらし過ぎ街路樹にわが歌ひ得ぬものらはさやぐ

大辻隆弘『水廊』(現代短歌社「第一歌集文庫」:2013年)

語り得ぬものについては沈黙しなければならない、と言ったのはもちろんヴィトゲンシュタインだが、語り得ないけれど歌えるものというのはありそうだ。しかし自分には歌い得ないものというのもある。

青嵐が過ぎ、ゆふあらしが過ぎ、なおも風は強く吹き残っている。街路樹がさやぐ。しかしそのさやぎには、わたしには歌い得ないものが含まれている。わたしの歌い得ないものたちがさやいでいる。さやいでいるのだが、しかしわたしには歌うことができない。

青嵐、ゆふあらし、と小気味良く畳み掛けておいて、しかし実体のない嵐も実体をもつ街路樹も歌えるわたしには歌えないものたちがどうしても街には残ってしまう。しかし冷静に考えれば歌えるものの総数より歌えないものの総数の方が多いはずなのだけれど。それでも歌えないものがあることは寂しく、それが賑やかにさやいでいることはなおのこと寂しい。