久我 田鶴子


午前五時とほき林に鳴き出づる蟬ありて空を水ながれ初む

桑原正紀 『秋夜吟』 青磁社 2019年

 

夏の早朝、遠くの林で鳴きはじめた蟬。午前五時では、蜩だろうか。遠くの蟬の声に耳を澄ましながら、空を水が流れはじめたと感じている。実際には、さっと涼しい風でも吹いて、朝の湿り気を含んだ空気の流れが目で見えたように感じられたのかもしれない。

夏の朝のしっとりとした空気感が心地良い。こんな朝は、人を詩人にする。なにか、大人になる前の感覚も蘇ってくるようだ。妙に懐かしくもある。

四句の「蟬ありて空を」の響き。軽く弾みながら、結句の「水ながれ初む」をたっぷりとしたものにしている。一首を読み終わった後に残る余韻も心地良い。

 

夏は朝 わきてしののめ 鴇色にみづの粒子のほそくたなびき

 

同じページに並ぶ一首である。

「夏は朝 わきてしののめ」、この言葉のテンポは、よく知っている。「夏はよる。月の頃はさらなり」、清少納言の『枕草子』だ。作者は『枕草子』を踏まえながら、その向こうを張って、「夏は朝」と打ち出しているのである。

清少納言は「夏は夜」と言ったけれど、いやいや「夏は朝」でしょ。それも、とりわけ良いのは「しののめ」でしょ、と。「しののめ」は、漢字で書けば「東雲」。あけがた、あけぼのを言う。では、「夏はあけぼの」と言ったのと同じではないか。

「春はあけぼの。やうやうしろくなり行く、山ぎはすこしあかりて、むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる。」

教科書でもお馴染みの、『枕草子』の冒頭部分である。「むらさき」があり、「ほそくたなびき」がある。なるほど。一首は、この部分をアレンジしているのだ。「むらさき」を「鴇色」に変えて。さらには、「雲」と言わずに「みづの粒子」と、清少納言は知らなかったかもしれない知識を詩的な言葉に換えて。「雲」は「しののめ」の中にも潜ませて。

ここまで遊んでくれたか。この遊びからは、この夏の朝の、作者の気分の良さがストレートに伝わってくる。そして、こちらまで楽しい気分になるのは、そこに作者の実感が生き生きと息づいているからにちがいない。