永井 祐


北窓のあかりのもとに眼はさめてこほろぎの目のあをき秋なり

前川佐美雄『植物祭』

続けて前川佐美雄の作品。
前川佐美雄もいろんなエピソードあると思いますが、洋画家の古賀春江との交流は有名な話で、今日の歌が収録されている『植物祭』の装画がこの人です。
古賀春江さんは日本のシュールレアリズムを代表する画家と言われる人で、たしか東京国立近代美術館の常設にあったと思います。それを見たことある。
シュールレアリズムは当時の新潮流で、前川佐美雄はこの時期つよくそれに傾斜していた。
古賀は昭和8年に38歳で亡くなります。そのときに佐美雄が語ったことが、僕はずっと印象に残っていました。
「日本の多くの超現実主義の画家が大抵付焼き刃であつたのに対し、故人だけは本物であつた。本物であるというよりは人そのものがさういふ人であつた。」
人そのものがそういう人。本当にシュールな奴だったんだと。
本当にロックな奴だった、というとありがちですが、本当にシュールな奴だったというのが面白く、心に残りました。どんな奴なのか。
同時に「ビジネスシュール」みたいな人もいたんだろうなとか、ロックやパンクが生き様というのと同じようにシュールも生き様なのかなと考えると、まさにシュールな気がしてきます。

今日の歌は前からなんとなく好きな歌です。
北向きの窓からのあかり。これは月の光で、「眼はさめて」は「ねむれなくて眼が冴えて」というような意味にとって、ずっと夜のイメージだと思ってたんですけど、
朝に目が覚めるという風にとれるのかもしれません。
でも、夜の闇の中でこおろぎたちの目が青いっていうほうがいい気がして。
草とこおろぎ。人気のない闇。ぼおっと光る青い目。そういうのを思い浮かべました。
これはやっぱり「青」がすごく効いてると思います。
何かこう「向こう側」の感じの目ですね。つめたくて幽霊のような。合わせて自分の眼も冴えてらんらんとしてしまう。このままねむらない存在になっていきそうな。
赤いやばいものじゃなくて青いやばいものです。
赤の狂気と青の狂気はやはり違う気がする。

胸のうちいちど空(から)にしてあの青き水仙の葉をつめこみてみたし

これも前川佐美雄の歌で、『植物祭』にはけっこう青が出てきます。
古賀春江の絵も青っぽいの多いし、マチスやピカソの青も印象にあって
二十世紀の青のポエジーってあるなあと思います。ぼんやりとですけど。

わたしは夜中に近隣を散歩するのが好きなのですが、
特に二十代前半ぐらいのときは、このこおろぎの目みたいな青いものがたくさん見えたような気がします。