上條素山「ぬのちから」
毎日寒いですね。
わたしはこれを書かないと寝られません。
引き続き「ぬのちから」から。
今日のこの歌も面白いと思いました。なんなんだろうなっていう歌なのですけど。
「視神経」とは、眼球の後ろから脳に向かって伸びる神経の束。「視神経は見た」という表現はたぶん無理なんですけど、あまり厳密に考えるところではないかと思います。わたしの目玉は見た、とか脳は見た、とかそういう感じかと思います。
「あなたの負けよ杏仁豆腐」はたいへん台詞っぽい言葉です。決定的な瞬間の杏仁豆腐を目撃した、という。
連作中の一つ前の歌が
ミステリー好きでないけど断崖の言葉に身を乗り出して落ちる
という歌で、「ミステリー」が出てきます。
今日の歌の「あなたの負けよ」はミステリーのノリで、「視神経は見た」は「家政婦は見た!」が下敷きなのかもしれない。
とにかくそういうノリの中で杏仁豆腐が目撃される。「杏仁豆腐」は二度繰り返されてひだまりの中にいる。
パロディがあって、犯人は「杏仁豆腐」というのはシュールで、でも、結句の「ひだまりの杏仁豆腐」はなんだか鮮やかに決まっているように思います。「あなたの負けよ!」というテンションで目撃された杏仁豆腐は、ただしんと日射しの中にいる。ここは目に浮かぶように鮮やかです。
これも謎の生気に満ちた歌で、わたしは好きでした。
この連作の歌はすごく作りが自由なんですよね。
眩しくてくしゃみ かなしくてくしゃみ 日本史図説にくしゃみの嵐
この歌も印象に残りました。
「くしゃみの嵐」が過剰ですよね。前回のこの世ならぬ力に似たものが吹き荒れているのを感じます。
ここはおそらく「日本史図説」でなくてはいけなくて、「世界史図説」ではない。前回の<ぬ>のちからも「憑くことのちから」もなんとなく日本の古来のちからっぽいですから。
「日本史図説」には<ちから>があり、そこでは嵐が吹き荒れている。
でもガチのスピリチュアルではなくて、「図説」は学校っぽく、「くしゃみ」はコミカル。「あなたの負けよ」はパロディっぽく、「<ぬ>のちから」はでまかせのようでもあり、そのへん、どの歌もキュートさを持ち合わせている。
鏡には家を出るわたしあおじろき口から鍵をぶらさげている
これもいいなと思った。さらっと書かれている「あおじろき口」! そこから「鍵をぶらさげている」も生き生きと奇妙な雰囲気で、独自のセンスをまざまざと感じます。