柳 宣宏 『丈六』 砂子屋書房 2020年
きぶしの花は、春に先駆けて咲く。葉のまだ出ない枝先に、淡黄色の房状の花をいくつも下げるさまは愛らしく、初々しい舞妓の簪のようでもある。
早春の陽差しを浴びて、きぶしの花の咲く頃は、いわゆる「光の春」と呼ばれる頃。そういう頃であればこそ、道ゆく「をんなのひともまぶしい」のである。
冬用の分厚いコートから春物のコートに、服装は軽やかに、色合いも明るく。足どりも春を感じていくぶん弾んでいるかもしれない。春の喜びを道ゆく女性の姿にも見てとった作者だ。
それにしても、「をんなのひと」という表現。ひらがな表記されたところに、柔らかな肉体(ボディ)が見えるようだ。そして、見る者の羞じらいのようなものが、引き出す「まぶしい」。
「まぶしい」は、春に先駆けて咲く「きぶしの花」と「をんなのひと」との共通項である。
上の句では「さきがけてきぶしの花の咲くころは」と、助詞「は」を用いて他と区別して取り出しつつ、下の句では「道ゆくをんなのひともまぶしい」と、助詞「も」を用いて、まぶしいのは「をんなのひと」だけではない(「きぶしの花」も、あるいはもっと他にも)ことを示して和らげているあたり、なかなか巧妙と言うべきか。すっきりとやわらかな早春の歌になっている。
「それくらいやつてください」うら若き花歩先生は夏の涼かぜ
この歌の花歩先生は、作者の娘くらいの年齢か、あるいはもう少し若いのかもしれない。そんな年下の同僚に叱られているのである。でも、なんだか嬉しそう。「夏の涼かぜ」ですから。
きっぱりとした言葉に、自信をもって仕事をしている頼もしさを見たのだろう。叱られちゃったよと頭を搔きながらも、後輩の成長ぶりを見守っている余裕がそこにはあるようだ。何でも言いやすい先輩として、後輩からも慕われている存在であるにちがいない。