佐佐木定綱 『月を食う』 角川書店 2019年
目が覚めると、口の端に薄くしょっぱいものが→こりゃあなんだよ(涙なのか?)→誰が泣いてるんだ?(俺が泣いているのか?)。一首は、朝焼けに呼びかけながら、自問自答するようなかたちになっている。
「寝ながら泣いていたのか、この俺が」、その事実にみずから驚いてしまう。すんなりとは認められない(認めたくない)思いが窺える。
人は、寝ていても泣くことがある。ここでの涙の背景は分からないが、身体がそういう反応をしてしまうほどの切なさを抱えていることだけは分かる。涙とは、何なのか。人が泣くとは、どういうことか。
この一首の前には、こんな歌もあった。
「カルキ抜き」なみだの分だけ落としてはしばらくきみのこと思い出す
泣けぬ夜はロックグラスの下に敷くティッシュペーパー絞りまた敷く
これで見ると、涙には「きみ」が絡んでいるらしい。泣くことが「カルキ抜き」みたいなことになっているらしい。涙を流すことによる浄化作用。そして、その後にまた、新たに「きみ」へと思いは向かうのである。
ほんとうにおれのもんかよ冷蔵庫の卵置き場に落ちる涙は 穂村弘
穂村弘にも、こんな歌があった。1990年刊の『シンジケート』の中の歌。
穂村の歌では、開けた冷蔵庫の卵置き場(そう言う?)に涙を落としているが、自分が泣いていることを受け容れきれないという点では、佐佐木の歌と共通している。不覚の涙と言うべきか。いや、自分でも訳の分からない、予測不能の涙。自ら戸惑うような、あまりに素直な感情の発露である。