エスカレーターのなまあたたかき手摺にもおもひまうけず心のうごく

佐藤佐太郎『形影』

 

今日のは明治42年生れの佐藤佐太郎の歌です。
歌集は第九歌集『形影』(かたかげ)。
佐藤佐太郎の歌集としては、第二歌集『歩道』、第五歌集『帰潮』が一番広く読まれていると思います。わたしもそこから読みました。
それでたぶんこの『形影』は三番目にくるくらいなのではと思います。「那智の滝」の歌とか「しだれ桜」の歌とか、代表作がけっこう入っている。
(何かクラシックの交響曲の話みたいですね。第二と第五、その次には第九かと。)
佐太郎歌集、別に時代の真ん中にいるような感じのものではないのですが、三冊の歌集を並べると、その変わりようは見て取れます。シンプルに歌に出てくるものが変わっていく。

ものすごく雑に言いますが、『歩道』(昭和8年~)は戦前だなあ、『帰潮』(昭和22年~)は戦後だなあという感じです。そしてこの『形影』は昭和41年からの歌になっているので、高度成長期の終わりのほうというところ。すると前二冊とは街の風景もだいぶ変わってくるし、人々の興味関心の方向もきっとかなり変わっていて、だから同じものの見え方などもまた違うのでしょう。
今日の歌のエスカレーター、『形影』には二回も出てきます。エスカレーター、日本に初登場したのは大正らしいし、どんな広まり方をしたのかわかりませんが、『歩道』と『帰潮』には出てきた覚えがない(ちゃんとは調べてないです)。『形影』にはかなり日常的な感じで出てきます。

歌のほうを。
「手摺」はベルトのことだと思います。「おもひまうけず」は「思い設けず」で、「前もって心の準備をせず」という意味。
だから、エスカレーターのベルトに手を置いたら、「うおっ」と思ったということかと思います。
「心のうごく」は解釈いろいろできそうでもありますが、私の読みだと、何か悲しみを感じたとかつくづくとさびしい気持ちになったとか、そういうことではなく、「うおっ、なまあたたかい」ぐらいではないかと思っています。

ベルトをつかんだら、思った以上に質感があり、それまで安定していた予期が裏切られる。そういう感じ。「うごく」がポイントで、たかぶるでもしずまるでもなく、ぐいっと動く。
個人的にこれはわかる感あります。ほとんど生理的な領域であるがゆえに普遍的というか、グローバルにどこの国の人でも「わかる」という声がある程度あがるような気がします。

とても敏感な歌で、情報量も少なく正確な一点を突くという感じで、「なまあたたかき」と「おもひまうけず」に字数を使って時間をとっているのがいいのかと思います。

佐藤佐太郎は、わりとスマートフォンとかSNSなどが相手でもこういう風にひゅっと作れるのかもしれない。

 

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