永井 祐


ついとし切符をつまみ抜きしのみに自動改札すでにとほりぬ

小池光『静物』

 

 

1947年生まれの小池光さんの歌。
五番目の歌集『静物』から。2017年に出た現代短歌文庫『新選 小池光歌集』(砂子屋書房)から引いています。
小池光の歌集、だいたい読んでたんですけど、この現代短歌文庫版が出るまでは『静物』だけ手に入れづらく、ずっと読んでいなくて、今回読んでみてやはりすごく面白かった。読みどころがたくさんある。

『静物』には1995年~2000年に作られた歌が入っています。
今日の歌はちょうどその時代ならではの歌で、自動改札登場、Suica・PASMO以前というところの歌。
わたしはこのころすでに一人で電車に乗っていたので、もちろんこの自動改札の記憶はありますが、いま見ると余計面白いかもしれない。
あの小さい乗車券が前のほうにピュッと出てくるの、思い出して考えるとすごい変な感じがします。
この歌の場合は、おそらく登場したての「自動改札」に対する違和感みたいなものを歌にしていて、だから当時の新しいものが題材だから感覚として古くなっているみたいなことは全然ないですね。

「ついと出し」がまず面白い。
「ついと」、辞書的には「動作がいきなり、すばやく行われるさま」。例文「マッチをついとさし出す」。
たしかに、あの自動改札で切符が「いきなりすばやく」出る感じってよくわかるんですけど、
例文のシチュエーションが古いように、「ついと」はけっこうオールドな言い方で、そのオールドな語彙と語法をもって自動改札をあらわす、それもきわめて正確にあらわすというところに面白さがあり、また批評性みたいなものがあると思います。

わざわざ「出し」に「でし」とルビを振っている。「だし」と読まれるのを防いでいるのかと思いました。(あるいは「いでし」かもですが)
そう思うと、切符を出して入れるという過程は省略されている。
「ついと」出てくるところからはじまる。その出方に対する違和感というのが自動改札という経験の本質になっている。
「のみに」は、「~だけで、だけなのに」っていうぐらいの、ゆるい逆接かと思います。
いきなり出てきた切符を、つまんで、抜いた。それだけで自動改札を「すでに」通っている。
実際は歩いて抜けたわけでもあるんですけど、主体の経験上はそのようになっている。

機械のわりと雑な誘導によって通らされる、昔の自動改札の思えば変な経験が、それにいちいちおどろいて感覚する様が、とても巧みにあらわされている歌だと思います。

ちなみにこれは『静物』の巻頭の歌です。