永井 祐


ゆきずりの麺麭屋にある夜かいま見し等身のパン焼き竈を怖れき

葛原妙子『原牛』

 

「麺麭屋」はパン屋。

パン屋は好きでよくいく。
歌では「ゆきずり」ですが、わたしは「ヴィ・ド・フランス」というチェーンが近くにあってよく行きます。
この歌は昭和30年代前半の歌で、たぶん町並みも今とは違う。銭湯とか駄菓子屋とか減っていると思いますが、パン屋は意外と今でもたくさんある。

「竈」はかまど、「パン焼きがま」と読むのかなと思います。
必ずしも昭和30年代のリアルモードとは限りませんが、「竈」は古風なかまどを思い浮かべなくてもいいのかなと思います。
普通の日常的なパン屋の業務用で大がかりなオーブンを、「パン焼き竈」と言っているんじゃないのかな。わたしはその想定のほうが面白いような気がします。

パンが並んでいるフロアやカウンターの奥に、パン焼き竈がある。
裏から見たのか奥にのぞいたのかわかりませんが、かいま見えた。
「等身」。人間の身長と等しい高さ。また、わたしと等身ということかと思います。
人が一人入るのにぴったりぐらいの大きさ。
というより、わたしがぴったりと中に入るのでは? という感じな気がします。
まるでわたしを焼くために作られたような焼き竈が、平和なパン屋の奥に存在する。
それに息をのむ、という歌かと思います。
何かぴったりなものの中で焼かれるという想像が怖くて好きな歌です。

人が入るようなサイズの業務用オーブン、銀色に光る外見と中の空間の業火というギャップがすごいというか、想像をかきたてられてしまうものかもしれない。
気になって検索してみると、種類もいろいろあって、「スチームラックオーブン“善”」というのもありました。<善>と名付けられたオーブンがあるそうです。

葛原妙子、再読しているといろいろな歌が見つかる。こんなのもありました。

 

もつともさびしき人間の独語「天上天下唯我独尊」

 

Twitterのネタみたいな歌だなと思いました。しかもすべっている感じがある。

葛原がすべることもある。