久我 田鶴子


「お母さん」呼べば「はい」とうこのうつつ昨日も今日もわれの幸福

冬道 麻子 『梅花藻』 ながらみ書房 2021年

 

「お母さん」と呼べば、「はい」と答えてくれるこの現実が、昨日も今日もあって、それが私の幸福だと言う。実に平凡なことであるけれど、作者にとっては何ものにも代えがたい「われの幸福」であった。

作者は、九歳頃に身体の異常を自覚し、十六歳の時に難病と分かり、二十一歳の時に筋ジストロフィーの診断を受け、二十九歳の誕生日を目前にしたある日、座布団に躓いて転倒し、それ以後は寝たきりの状態になった。それからというもの、ずっと傍にいて介護してくれたのが母だったのである。

「お母さん」と呼ぶ作者は病床にあり、呼べばすぐに返事をしてくれるところにいつも母がいてくれる。この安心感は得難いものだったろう。相手が母だからこそでもあったにちがいない。

ところが、その母も年をとり、認知症の兆しが見えてくる。

 

何事ぞ母はときどき惚けてはわれを奈落のさみしさに置く

如何にせんとこつ身われの介護人ははの頭のちらかりゆくを

跪きわれのベッドに顔伏せて母はしずかに「疲れた」と言う

清拭が母からヘルパーに代わるきょう大の字に九月の空を見て待つ

 

母の介護に限界がきて、ついに清拭もヘルパーの手を借りることになる。安心して身を委ねていられた母とは違って、介護を受ける前から身体は身構えてしまうようだ。いかに母の手が有り難いものであったか、老いた母を思いやりながらも深く思い知らされたことだろう。

 

行く末を思い煩う日もあれど施設の母と離れ生きゆく

お母さん三十年の介護ありがとう毎日新たにおもわるるなり

 

後の歌には、「ヘルパーに代わりて八年となる」の詞書がある。作者の介護は、すっかり母の手から居宅介護士たちの手に代わっている。そうなって八年、毎日更新される母への感謝の念が物語るもの。作者の長い闘病生活は、母の長い介護生活であった。作者の、母への「ありがとう」の思いは尽きることがない。

現在、母は特養老人ホームにいて、コロナ禍ということもあって会うことも叶わないという。