久我 田鶴子


わたしはあなたにならない意思のなかにある淋しさに火という火をくべる

山崎 聡子 『青い舌』 書肆侃侃房 2021年

 

「わたしはあなたにならない」とは、わたしはあなたのようにはならない、ということか。「あなた」に向けられた強い否定。それがどこから来るのかはわからないが、ただ事では無いことだけは明らかだ。

だが、「わたしはあなたにならない」と、きっぱり言い切っているのではない。「わたしはあなたにならない意思のなかにある淋しさ」と続いている。

「わたしはあなたにならない」と心に決めながらも、そこにある「淋しさ」。どこかで「あなた」を否定しきれない、まだ「あなた」に繋がっていたい思いがあるのかもしれない。否定しようとしても容易には否定しきれないくらいに、「わたし」と「あなた」の関係は深い。

けれども、そうであればあるほど、その思いはここで断ち切らなければならない、と思うのだろう。だから、その「淋しさ」を焼き尽くすように「火という火をくべる」。

『万葉集』にある狭野弟上娘子さののおとがみのおとめの歌、「君が行く道の長手ながてを繰りたたね焼き滅ぼさむあめの火もがも」とは逆方向のベクトルがはたらいているようだ。君が遠くへ旅立っていこうとする道を焼き滅ぼすような天の火がほしいと、「君」を自分のもとに留めようとした狭野弟上娘子。それに対してこちらは、「あなた」を断ち切るために必死で「火という火をくべる」のである。ベクトルの向きは違っても、いずれも激しく、苦しい。

 

十代が死んでくれない 強くあなたをなじって夏の終わりがきてる

墨汁が匂う日暮れのただなかのわたしが死ねと言われてた道

 

関連があると思われる歌を2首挙げてみた。ここにも「あなた」がいて、「わたし」がいる。どちらも辛い歌だ。具体的な背景はもう一つわからないが、苦しさだけは痛みを伴うようにして伝わってくる。

だからこそ、こういう歌もあるのだろう。ずっと後に置かれている歌だが。

 

雨後の土に触れるわたしに絡みつく物語からとおく離れて

 

雨後の土に触れる。それはたぶんほっとする瞬間だったにちがいない。身に絡みつくしがらみから解き放たれた時間。なんでもない、ただのヒトでいられる時間。「わたしに絡みつく物語」をすべて振り捨てることはできないにしても、この時のように、少しでもそこから離れられ、ゆったりと呼吸することができますように……。