桜井 健司 『平津の坂』 本阿弥書店 2021年
地下鉄を使って目的の駅に到着。地上に出るには、「とりあえずのぼるしかなし」。
のぼっていって、地上に出てみたら雨だった。で、「地下鉄の駅を出でては雨にし打たる」と相成る。
「出でては」の「は」は、仮定条件と解される文脈に用いられる「は」。地下鉄の駅を出たなら、といったところか。「雨にし」の「し」は、強意を表す。と言っても、ここでは「雨」をさほど強めて言っているわけではなくて、語調をととのえるくらいの用い方のようだ。「打たる」の「る」は、受け身の助動詞。
地下鉄で来て、駅に到着。とりあえず上るしかなくて、それで地上に出てみたら雨に打たれる。参っちゃいますね、という作者の声が聞こえてくるようだ。
「地下鉄の駅を出でては雨にし打たる」という表現の、妙な味わい。やれやれ、参ったという感じが、そこに醸し出されている。
「結果を出せ」「成果を見せろ」という声がここに響きて春ぞ闌けゆく
この歌、職場で聞かされる容赦のない声がそのまま使われている上の句に対して、下の句は実に長閑だ。「春ぞ闌けゆく」と、係り結びまで使う念の入れようで、職場の声からは遠いところへといざなう。
「結果を出せ」「成果を見せろ」という声がここに響いて、春もたけなわです、とは。「春ぞ闌けゆく」というコテコテの古典的な表現で、「結果を出せ」「成果を見せろ」の声に対抗しているわけだ。トゲトゲと迫ってくる職場の声をやんわりとはぐらかす。それも生きる上での知恵である。古典的な表現の、新たなる効用と言えそうだ。
あまりにも古語とは遠き職に就き夏の向こうの逃げ水ぞ輝る
「結果を出せ」「成果を見せろ」と言う職場、それは「あまりにも古語とは遠き職」であるが、そこに身を置きながら、なお古語に、古典に親しむ。それは、「夏の向こうの逃げ水」のようなものかもしれないが、光り輝いている。光り輝いて、大きな組織や権力に呑み込まれないための一つの方法を教えてくれているようでもある。
作者の勤務先は、日本橋兜町にある。