ひたすらに泣きたくなるの透きとおるエレベーターで昇りゆくとき

窪田政男『汀の時』月光文庫,2017

作中の主体は、外の景色の見えるような、またエレベーターに乗っているひとの姿も外から見られるような、透明なガラス張りのエレベーターに乗っている。
そしてエレベーターは特殊な建物を除いて、その多くが低速の乗り物なので、おそらくはゆっくり、ゆっくり、上昇している。

 

どうして「泣きたくなる」のか、理由を明かしてはくれません。
ただ、透きとおっている(と、この世界で規定される)何かに触れると、濁った己れの昏い部分が露わになるようで、何かが見透かされそうで、
ひゅっと息が詰まるような一瞬があることは、わたしたちも思い出すことができます。
そしてこの「一瞬」の喉の感じは、「泣く」行為の寸前の、呼吸が小刻みに揺れる様子とも重なります。

 

そもそも、この語り手は「泣きたくなる」と言っているので、実際に泣いているわけではありません。
作中主体は、ただ黙って「透きとおるエレベーター」に乗っているのです。
そして、ゆっくりと地上から遠ざかろうとしている。

 

このうたの語り手である泣きたい〈私〉と、泣かずにいる作中の主体はことばのうえで共存し、共鳴し、痛々しく立っている。

 

「上」の世界や上昇にはさまざまな比喩が当てはまります。
語り手は、それらの全ての場合に対するいっときのこころの揺らぎを、わたしたちに語りかけてもいるようです。

 

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