山下 翔


初冬の浴そう磨く 水が揉む私といういつか消えてしまう影

立花開『ひかりを渡る舟』(角川文化振興財団、2021年)

 

風呂そうじの場面をなかだちとしながら、水と私との関係をえがいて死の気配ただよう一首。浴槽を磨くとき、そこにものとしての水はあるが、うたにおいては、いわば縁語的に水が引き出されているように感じる。字あけと主語の転換によるものだろう。連作さいごの一首に「浜」があり「骨を砕いて」があり、また、掲出のうたのひとつ前に「君の死後」があることを合わせておもう。

 

うたは「水が揉む」に惹かれる。初冬のひかり乏しいころ。私の「磨く」という動作に呼応するような「揉む」である。あるいはひとつの動作をふたつの視点で述べているともおもわれる。わたしが磨くことで、水に(たとえば浴槽の水たまりに、あるいは水滴に)揉まれるのではなく、わたしが磨くことが、すなわち水が揉むことである、というふうに。ここに水と私は、互いに作用・反作用となりながらひとしく存在している。

 

私そのものではなく、「影」であるところにも立ち止まる。これもげんに私の影(私によってひかりの遮られたところ)とおもってもよいが、同時に、私という「存在」、生命の「気配」というレベルでおもうこともできる。「私」といういっときのものを水が揉む、そのことによってかすかにも私の存在がいのちをもつ、そういう生のあり方をおもった。