中津 昌子


果樹園のなかに明日あり木柵に胸いたきまで押しつけて画く

寺山修司『空には本』(1958年)

 

 

情景としては、果樹園のまわりに柵がめぐらされており、そこに胸を押しつけるようにして、絵をかく一人が思われる。
絵をかきやすいように、胸のところでもたれる姿勢をとるのだろう。

木柵に感じる物理的な痛さが、この人物の内面の「いた」さに重なる。
それは、「明日」という未来に向かってのもの。
〈わたし〉が、これから人生に向かう、若い人であることがわかる。

 

上二句はどうとるのだろう。
たぶん果樹はこれから豊かな実りの時を迎える。その果樹の姿にあわせて、「明日」をもってきたのだろう。

この上二句は、少し甘い感じもするが、しかし、だからこそ、「胸いたき」が青年期特有の、甘さをも含む、つかみようのないさきゆきを背景としての痛みとして読む者の胸に伝わってくる。一方、「いたきまで押しつけ」ると表された、自虐の気分もまさに若者のものだ。

 

 

四首前には、『空には本』の巻頭歌、〈森駈けてきてほてりたるわが頬をうずめむとするに紫陽花くらし〉がある。

ここにも翳りを帯びた若い精神が、まぎれなく感じられるが、だがそこを深く掘りすぎることなく、どこかあまやかに包み込んでいる。寺山が好かれるゆえんだろう。