森淑子『山茶花忌』(現代短歌社、2020年)
三月三日、雛祭りの日が過ぎて、飾っていた雛人形をかたづける。「雛納め」である。春の季語にもなっている。
「来む春」は「来るであろう春」、すなわち来年の春の、「更なる佳き日」を希い、ひとつひとつ紙につつんで、もとの箱にしまっていく。わたしも子どものころにやった。ここに少しく淋しさまつわるのだが、うたは明るい方へひらかれていく。
「希へれば」は、「希ふ」の命令形+完了・存続の助動詞「り」の已然形+「ば」で、希っていれば、希っていると、くらいの意味である。「雛納め」というものさびしいおこないも、また来む春の、今年よりもさらによき日の来むことをねがえば、そこに希望や、たのしみ、明るいものが見出されるようだ。
いわく「雛納め」もまた「たのしき」仕事である、と。ささやかな祈りの一首であり、また、「たのしき仕事」といくぶんユーモラスにうたったところに、すでに明るい春の兆し感ずる一首である。
うたの引用は文庫版『山茶花忌』(現代短歌社、2022年)より。