しくじりし会議を終へて乗る電車うしろ五両は忘れてください

柳 宣宏『丈六』(砂子屋書房 2020年)

 

 会議で上手くいかなかった。

 通すべき案件を通せなかったとか、余計なことを言ってしまって、場の雰囲気を凍らせたとか。その痛恨の場面が、帰りの電車の中で繰り返しよみがえってくる。

 「後悔」は人間にとってとても重要な感情で、これがあったからこそ、太古の時代から人間は生き延びられてきたことを何かで読んだ。確かに、たとえば、狩りの場面でしくじって獲物を逃したとしたら、「後悔」が改善策を考える推進力になるだろう。後悔しなかったら、また獲物を逃がす。生きていかれない。

 だけれど。やっぱり、嫌な場面が反芻されるのは嬉しくない。

 

 下句、「うしろ五両は忘れてください」という言いぶりは、感覚的にとてもよく伝わる。連結部から切り離される車両のイメージが、会議のある場面からきっぱりなかったことにしたいという気持ちとぴったり合う。

 「うしろ五両」が具体的に、会議の後半部分と呼応するのかどうかはわからない。が、恐らく、ある瞬間から上手くいかなくなって、それが会議の終わりまで継続したことは想像できる。

 興味深いのは、「忘れたい」ではなく、「忘れてください」と、他者に向かって言っていること。「ください」という口語の敬語のニュアンスを声にするなら、恥じるように? 茶化すように? 懇願するように?

 自己完結の遮断ではなく、あくまで、会議のメンバーの表情やしぐさを脳裏に置きながら、そこへ向けて、この願いは発せられている。

 

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