山頭火で三一〇円のラーメンを食べていたのが三月十日

土岐友浩『僕は行くよ』青磁社,2020年

日付は意味を背負う。誕生日や忌日のような個人に紐付くものもあれば、重大な出来事が起きて人々に刻み込まれるものもある。マイホームの竣工や結婚記念日、好きなロックバンドが解散した日…365日のうち意味を背負っていない日はなくて、年月の経過するなかで、日付は背負うものを増してゆく。時には、誰からも忘れられてしまった意味を手放すこともあるだろう。そんなことを考えていると不思議な気持ちになり、すこしだけ落ち着かなくなり、そしてこの一首のことを思い出す。

山頭火は旭川発祥のラーメン店。白濁した上品な塩とんこつスープが美味しい。全国の山頭火がやっているかはわからないけど、山頭火はその店名にちなんで(そもそも3月10日の開業にちなんで種田山頭火から名を拝借したようだ)、3月10日にキャンペーンをする。サービスの内容は店舗によっても異なるのだけど、この一首の主体は、3月10日に山頭火に行き、キャンペーン価格の310円でラーメンを食べた。たぶん、いくらか並んで、いくらか高揚して、いつもならもう少し高いはずのラーメンをお得に食べた。一首の内容としては、それだけのシンプルなものであり、主体の体験と言葉遊びの楽しさの取り合わせが一首の眼目だろう。
だけれども、この歌を読むときにはどうしても、「三月十日」という日付に〈山頭火の日〉以上の意味を感じてしまう。翌日の3月11日は東日本大震災の発生した日として、重く意味を背負っている。四句目の「のが」によって、一首は3月10日以外の日を意識させる。当然、明言はされていないので違う可能性はあるんだけれど、一首を読むときに、翌日に地震が起きることがある程度意識され、地震を経ていない主体を地震を経た主体が回想しているような手触りを感じてしまう。山頭火の字面も、どこか地震と響き合う。一首においては、3月10日は山頭火の日として意味を背負っているだけなのに、震災の前日という意味を読解の過程で背負わせようとしてしまって、(ほんとうに背負わせて良いのかな)と少しだけ不安な気持ちにもなる。
歌集中の別の連作「落下するヒポカンパス 平成じぶん歌」には、「午後三時、藤枝駅で降ろされてガストとデニーズをさまよった」という歌があり、「2011年3月11日」と詞書が付されている。ここまで明示されれば、3月11日が背負った意味を前提とした一首であることは揺るがないが、掲題歌にはいくぶんかの揺らぎがあり、それでも意識せずにはいられない重みが「三月十日」という日付には生じているように思う。

影に影、ひかりにひかり、早春の四条通りのざわめきを行く
遠くまで来たはずなのに桂川イオンシネマで空襲を見る
絶妙な日陰にうまく収まってかに道楽のかにを見上げる

『僕は行くよ』には京都の気配が漂う。観光地としての京都ではなく、普段着の京都。だからだろう、掲題歌を読むと京阪三条駅のすぐ近くにあった山頭火を思い浮かべる。お酒を飲んで、ふらふらしながら食べる山頭火のラーメン。山頭火の日は、行きたいと思いながらも行くことができずに、いつの間にか京阪三条の山頭火は閉店し、山頭火は関西から撤退して、そう簡単には食べることができなくなった。
2011年の3月11日に何をしていたかは、かなり明瞭に思い出すことができる。だけれど、3月10日はどんな1日だったのが、私はまったく思い出せない。山頭火の日の存在も、この一首を読むまで完全に忘れていたのだけれど、この一首を読んだことで山頭火の日の存在を忘れることはもうなさそうだ。

その忘れ難さは、3月11日という決して忘れることができない日を前提にしている、ように思うのだ。

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