斉藤 梢「灯船 第25号」(2021年)
明日で東日本大震災から丸十二年になる。
作者は震災当時、宮城県の名取市というところに住んでいた。津波の被害のひどかった、閖上地区や仙台空港の近くである。自宅であるマンションへと津波が押し寄せたが、その情景を長く忘れられず、苦しんでいる。「ああ、娘は見なくてよかつた」は、本当に率直な述懐で、もし、見てしまったならば、折々に思い出され、苦しむだろうからということを痛感しているのである。
「ずんずん」は、名取の平らな土地の様子をよく掴んでいる表現。海からは三キロあるが、平らなので内陸まで入り込んでくる。建物があっても、何があってもかまうことなく、津波は確実に迫ってきた。
「あの」は、震災の歌においてたびたび使われる表現で、概念でも想像でもなく、直に体験したある場面が、自らのからだの中にあって、そこが呼び覚まされる。そこに向かって詠うのである。
また、「津波の黒」はうなぞこの泥や砂、巻き込まれた数々のものを含んだリアルな色でありながら、象徴としても機能している。引きずり込まれれば身動きが取れなくなる、暗黒の黒、闇の黒である。
この歌だけ見れば、震災直後の歌のようにも思える。
しかし、震災から十年を経て出てきたものだということを、重く捉えたい。
その「時」、その「場所」に置かれることで意味を深めることが、歌にはある。
三月八日の掲出歌、
震災を知らないということだけは知っているただ、知っているだけ
昆野永遠「気仙沼高校 日々の活動」(2023年)
この歌への、一つの返歌のようにも思えて。