バーテンが愚痴をいなして生ハムを刻みに消えし厨明るし

島田幸典『no news』砂子屋書房,2002年

バーでの一場面。
バーテンダーは酔客の愚痴を聞いているのだが、そのうち料理の注文が入る。酔客の愚痴は続いているが、バーテンダーはその愚痴をうまく切り上げて店の奥にあるキッチンスペースに料理を作るために入って行った。そんな状況だろうか。
確かに、バーで酒を飲んでいると、特にマスターがひとりでやっているバーなんかでは、よくある場面だと思う。
このバーはキッチンスペースとバーカウンターが分かれていて、マスターではなく「バーテン」という呼称が選ばれているので、幾人かスタッフがいるような規模のバーなのかも知れない。

「バーテン」という言い方には少しだけ対象への距離を感じる。いつも行っているバーというよりは、飛び込みで入った馴染みの薄いバーというような印象を受ける。

一首が詠まれた時点では、眼前には客の愚痴を聞いていたバーテンダーはいない。並びには愚痴をこぼしていた客が酒を飲んでいるだけだ。その場面にいたるまでの流れを一首は過不足なく叙述していて、バーテンダーがいない空白のバーカウンターがより静かに感じられる。

バーテンダーが入って行ったキッチンスペースの灯りが漏れている。仄暗いバーとは異なり、キッチンスペースには明るい蛍光灯の明かりが灯っているのだろう。キッチンからは食器を準備したり、食材を切ったりする音が小さく聞こえてくる。
もとから光が漏れていたのか、バーテンダーが入って行くときに閉ざしきっていなかったのかはわからないけれど、バーテンダーが入って行ったことで、その明かりが妙に気になる。静かなバーで一人で飲んでいると、いかにもありそうな状況だ。上句はゆったりとした韻律だが、下句は「4・4/3・4」と字余りしながら小刻みに切れて少し落ち着かない。それは、刻まれる生ハムと呼応し、主体のかすかな落ち着かなさとも響き合う。

バーのようなお店で飲んでいると客はある種の一体感を要求されることがある。注文するタイミングは見計らう必要があるし、バーテンダーと会話をしていると隣で飲んでいる常連が会話に入って来たりする。店内は静かなので、客と店員の会話は丸聞こえで、小さく気を遣ったりもする。注文したものがなかなか出て来なくても急かしたりはしにくい。
それでも、バーのようなお店で酒を飲むと回復する何かがあって、お金を払ってバーで酒を飲む。仄暗いバーで、度数の高い酒を自分に注いでいると、バーの一部になったような気がして、妙に心地がよい。

カウンターの中にバーテンダーがいない時間は不完全な時間だ。だからこそ、バーテンダーが消えて行ったキッチンの明かりが気になる。そしてそれは、バーテンダーがカウンターに戻ってくれば霧散して、記憶にも残らない。

一首は、バーの空気を静かに伝えてくれる。

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