聖橋したにたむろする浚渫船ややに暴力の気配を帯びつ

池田裕美子『時間グラス』短歌研究社,2022年

聖橋は神田川に架けられたアーチ型のコンクリート橋のことだろうか。
聖橋は昭和初期に架けられた瀟洒な橋。聖橋という印象的な名称は公募されたものであり、当該地の歴史に基づいたものでは必ずしもないのだけれど、橋の南北には湯島聖堂とニコライ堂があり、「聖」の文字がぴったりそぐう。

そんな橋下には浚渫船がいく艘か浮いている。「たむろ」という語の斡旋によって、どことなく手持ち無沙汰な感じがして、上句の段階では浚渫船はまだ起動しておらず、神田川に浮かんでいるのみという印象を受ける。世俗を超えた名を持つ聖橋と、たむろする浚渫船にはどこか聖俗の対比も感じられる。

下句で、浚渫船が「暴力の気配」を帯びたように主体は感じとる。浚渫船にエンジンが掛かり、挙動をはじめたのかもしれない。結語の「つ」によって、帯びた瞬間を主体が感じとったという印象を強める。
川底を抉りとるために、浚渫船には専用の機械が備えられている。土砂やヘドロを除去し、川の流れを整え、水質を安定させるために川底を抉る。人間にとって有用な工事ではあるのだが、浚渫船の外形も相まって、「暴力」という強い語に(確かにな)と思ってしまう。

人間の歴史はある意味では自然との闘いの歴史だろう。植物や動物を馴致して飢えを防ぎ、土木工事を施して災害を防ぐ。それは、生活のために必要なことであり、どこまでが必要でどこからが暴力かの線引きは容易ではない。河川の浚渫も、必要の枠内な気はするのだが、暴力と言われると妙に納得することができるのは、浚渫船の機械が私を殺傷することもできるからだろうか。

日本軍隊七十三年の歴史にて祖父また父も庶民兵たり/池田裕美子『時間グラス』

掲出歌と同じ一連に収められた一首。近代化の中で戦争が遂行され、同時期に聖橋も作られた。その時代の中で、多くの犠牲を払ったのは庶民兵だった父であり祖父だ。太平洋戦争の後は、〈戦後〉が七十八年続いているように思われるが、それがいつまで続くのかはわからない。暴力の気配を帯びる浚渫船とどこかでほそく繋がっているように思う。

歌集中には戦争を詠った歌が多く収められている。そこでは、過去と〈今〉とが冷たく響き合う。

戦後史をかたりつぐべき桜とし千鳥ヶ淵辺の雨をあるけり/池田裕美子『時間グラス』

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です