みいんみん みんな死んだよ 子供らはアイスクリームの味も知らずに

山埜井喜美枝『じふいち』(短歌研究社  2006年)

 

 「みいんみん」は、ミンミンゼミの啼き声だろうか。ひらがな表記も素朴なあどけない歌かと思いきや、その後に「み」の音を引き継ぎながら「みんな死んだよ」という簡潔で直截な言いぶりが続きショックを受ける。それでは、「みんな」とは蟬のことか、蟬が全部死んだのかと思えば、「子供ら」という言葉が現れて、またショックを受ける。

 つまり、二箇所ある一字空けの前後で、イメージしたことが裏切られてゆく、そういう構造になっている歌なのである。

 

 死んでしまった子達は「アイスクリーム」の味を知らない。とすれば、少し昔の話か。それとも、乳児のうちに亡くなったのか。なぜ死んでしまったのか。みんなが死ななければならなかった状況とは何か。

 この歌の前後には、

 

  戦災孤児中国残留孤児ら老い八月十五日向日葵の黄金きん

  鯨幕めぐらしせめては慎まむ死者かへり来よ敗戦忌けふ

 

 という歌がある。それらと合わせて読めば、子供らは、先の大戦で死んだのだと見当がつく。空襲などで直接的に攻撃を受けたのでなくとも、栄養失調や、不衛生ゆえの病気で亡くなった子も大勢いた。

 今だったらごく日常的にアイスクリームを食べられる。冷たくて甘くて幸せな気持ちになる食べ物。なのに、当時は、アイスクリームどころか、空腹を満たせるだけの食糧も、心穏やかな暮らしすらなかった。そういうものを味わえないままに亡くなった子達がたくさんいた。

 してみれば、「みいんみん」は蟬の鳴き声ではなく、「みんな」と言う言葉を絞り出すための助走、言葉がつまって「みんな」という単語を言えずにいる状態、そういう風にもとれるだろう。

 いや、それでも蟬のいのちのはかなさは、歌全体に影響し続ける。何年も土の中にいて、やっと地上に出てこられたのに、あっという間に死んでしまう蟬。そんな蟬が、子供達の姿とつながる。この世の喜びも悲しみも存分に噛み締めることができないままに、逝ってしまった子供達と。

 

 作者は昭和五年、中国の旅順に生まれ、終戦時は十五歳だった。そこから歳を重ねてきつつ、折々に思ってきたに違いない、「みんな死んだ」ことを。

 一見、ポップな言葉遊びにも思えるような「みいんみん みんな死んだよ」というフレーズは、長い時間の果てに、ふと、言葉として零れた感慨のかたちである。

 この歌が置かれた一連のタイトルは、「なつ 死者 生者」。夏は死者がとりわけ近い。生者と死者との回路がつながる、そういう季節が引き出した言葉かもしれない。

 

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