少しだけ雨戸を開けるいま君を濡らしてる雨の音を知りたい

木曜何某『ペンギンの見る夢は白い』私家版,2021年

雨が降っている。主体は「君」が雨に濡れていることを知っている。「君」は相知った存在でLINEのようなもので連絡を受けた上での感慨かもしれないし、Twitterのつぶやきを見たとか一方的に知っているだけなのかもしれないし、完全な妄想なのかもしれない。ただ、「少しだけ雨戸を開ける」という行為の現実性によって、主体の存在や主体の動作のリアリティが担保される。
上句の妙なリアリティはどちらかと言えば爽やかな相聞の方へ読みを引きずるような気がするのだけど、〈聞いてる〉や〈聞きたい〉ではなく「知りたい」という結句の強さによって本当にただの相聞なのかと悩む。〈知りたい〉は「君」を濡らす雨の音に結びつくのだけれど、その先には「君」そのものを知りたいという希求に結びつくような気がする。爽やかなようで、ほんのりと狂気が漂う。

『ペンギンの見る夢は白い』に収録されている短歌の中で、掲出歌はどちらかというと傍流に位置する。木曜何某は大喜利を主戦場としていて、笑いに振った短歌の方が多く収録されている。

特になしばかりのアンケート用紙が弱った姿で発見される/木曜何某『ペンギンの見る夢は白い』
この夏もあの夏になるどの夏もあの夏になる強いぞ指示語
ご飯より君が好きだよ日本で米に勝つのはすごいことだよ

一首目、「弱った姿」、「発見」という語の選択が大仰で笑ってしまう。二首目は「強いぞ指示語」じゃねぇんだよと突っ込みを入れたくなるし、三首目はまあそりゃあそうだけどと脱力してしまう。
笑いという文脈に回収されると少し安心する。なぜなら木曜何某が妙に本質を突いているからだ。「特になし」ばかりのアンケートの存在意義の薄さ、「あの夏」という言葉の具体的な出来事を捨象する暴力性、比喩の持つ本質的な嘘くささ。笑いの根源に存在するものがほの見えて、小さくうろたえてしまう。

空港で笑ってる人が多いのは天国に近いとこへ行くから/木曜何某『ペンギンの見る夢は白い』

飛行機の高度が天国に近いという読みがまずあるが、その奥には飛行機事故で死ぬ可能性が見え隠れする。飛行機搭乗による死亡率は実はめちゃくちゃ低いらしいのだけれど、ひとたび事故が起きると大惨事になることもあり、どことなく飛行機と死は縁語のようにも思える。

集中には笑いを取りに行って、滑ったと私には思われる歌もちゃんとある。木曜さんは怒るかも知れないが、そういう歌を読むと少し安心する。笑ってびびって感心してを無限に繰り返すと、さすがに疲れてしまうだろうから。

もう少し雨が降ったら傘をさす出来れば何も殺したくない/木曜何某『ペンギンの見る夢は白い』

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