いわなければいけないことを言うときのどくだみの花くらやみに浮く

千種創一『千夜曳獏』(青磁社、2020)

初めてこの歌を知ったとき、まず私の目を引いたのは「どくだみの花」だったのだが、時間がたつにつれてだんだんと「くらやみ」の印象が強くなったのを覚えている。人の心中というのは暗い場所なんだなと、感じ入った。

相聞として読めば「いわなければいけないことを言う」とは、別れを告げるということだろう。しかし、この歌の出だしにはそう単純に告げられやしないという苦渋が満ちている。それが下の句で、雰囲気を変える。白いどくだみの花がうかびあがる、まるで宇宙空間のごとき暗い場所。このイメージに象徴されるのは、恋愛心理よりもずっと原初の、蒸留された主体の心ではないか。闇に浮かび上がるどくだみの花をふと見上げたとき、相聞の相手であるはずの〈あなた〉の気配さえもが、消されてしまっているように思う。

やさしさを持て余しつつどくだみのくだりがとても仄暗かった

『千夜引獏』に先立つ第一歌集『砂丘律』(青磁社、2015)には実はこんな歌がある。先の歌に比べると抽象的でわかりにくいが、なかでも「とても明るかった」でも「とても暗かった」でもない、「とても仄暗かった」という、いっけん語義矛盾のような言い方は気になる。どうもここには、たいして明るくも暗くもない、中途半端ではあるが、〈あなた〉という存在にぴったりと沿う位置にチューニングを合わせようとする主体の心模様を感じられはしないだろうか。

おそらくはこの、手探りで〈あなた〉の存在をたしかめようとする、すがるような気持ちを乗り越えた先に、本日の掲出歌がある。どくだみの花を〈あなた〉の痕跡として、心という暗い部屋のいちばん目立つところに光らせながら、しかし自分という存在だけをこの瞬間に感じとっていた。苦悩続きの日々の先に、一瞬でもそんな澄んだ風景を見るということは、たしかにあるように思う。

掲出歌を含む一連「連絡船は十時」は、同じ歌集中の続編「Re: 連絡船は十時」へとつながっていく意欲作で、相聞するふたりの心理を花や闇に象徴させる歌が多くでてくる。それは、読者のみなさんご自身で楽しんでいただければいいとして、『千夜曳獏』にはほかにも心のゆらめきを花にたとえる手練れた歌があるから、いくつか引いておこう。

鳥がたまに花を食べるじゃないですか、あれ、めちゃうらやましいなと思う
先生、と呼ばれて胸に羞ずかしさ怖さの菊が咲くので隠す
夏なのに辛夷こぶしを話すはらはらとあなたの声から辛夷こぼれる
怒りからたんぽぽがこぼれていたけれど言ったらもっと怒っただろう

「鳥がたまに」の歌は、歌集の冒頭二首目に出てくる。「あれ、めちゃうらやましい」と語る彼/彼女が、ほんとうに食べたかったのは、誰かの心なのではないか。読み進めるにつれてそう気づいたとき、心底おどろいた。

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