菜の花のきい溢れたりゆふぐれの素焼の壺に処女のからだに

 『びあんか』水原紫苑

 春の花には黄色が多いが、なかでも菜の花の黄の色は周囲の景色を一新させるまぶしさがある。その鮮明な黄色が「ゆふぐれの素焼の壺」に「溢れ」ていると歌う。「素焼の壺」が「処女のからだ」に結びついていることは明らかだが、その二つのイメージを重ねることで、処女のエロスが浮き立ってくる。あくまでも清らかな、いわば中性的なエロスといえるのかもしれない。ただしそのエロスは、「菜の花」という季節と「ゆふぐれ」という明暗の中間的時間を不可欠として、それらを背景とする時に、処女の憂愁が色濃く立ち込めてくるようだ。「処女のからだ」に注ぐまなざしの深さに驚く。『びあんか』(一九八九年刊)は水原の第一歌集。初めより言葉と表現の確かさをもっていた歌人である。

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