いつもながらのわざとらしさが嬉しいぞ霧晴れてさらに高き山頂

本多稜『蒼の重力』
(本阿弥書店、2003)

天地あめつち目合まぐあひとこそ思はめや真夏の山の雪崩のおら
真向へば斬りかかりくる雪稜の空の領地を奪ひ取るなり

短歌を詠むには一生懸命になってはいけなくて、うまく力を抜くのがコツと、私は思っていたのだが、世の中にはこんな歌集もある。集中のどの歌にもとにかく力がみなぎっている。運慶作の金剛力士像のような筋骨隆々の人が棒をふりまわしながら歌を詠んでいる、そういう歌人の姿を思い浮かべてしまう。では、そんな歌の数々がつまらなかったのかというと、読んでいるうちになんだかわからなくなってくる。

先に引いた二首は、モンブラン(伊仏国境上の西ヨーロッパ最高峰)登頂に挑む、歌集冒頭の連作から。歌集中で、主人公はまずロッククライミングのごとき本格的な登山に挑み、スキューバダイビングをし、みなぎるパワーを保ちながら、この一冊の歌集の中で、スペイン、イスラエル、エジプト、モロッコ、イギリス、ギリシア(アトス山)、ネパール、インドネシア(バリ島)、ブータン…といくつもの国に出向く。歌集でいえば、ひとつの国の滞在期間がたったの二ページなんてこともある(スペイン)あわただしさだ。

掲出歌は、『青の重力』中の「アグン」という連作のなかの最後の歌。一連のはじめに「バリ島の寺院はアグン山を模す」という説明が付されている。バリ島・アグン山中にあるブサキ寺院を詠んでいるが、主体の意識は寺院よりもアグン山そのものに向かい続ける。

ブサキ寺院にバリの神々集ふ日をゐながら我のはみでてをりぬ
雨雲をアグン山グヌンアグンは振り払ひ入道雲と相撲をはじむ

特に後の一首は、掲出歌と対をなしている。神々を信仰する人々にまじって、主人公は山を「信仰」する。ぎらぎらと力をみなぎらせたまま各国を旅し、山々と出会ってきた彼の目の前で、アグン山にかぶさっていた大きな雲が、まるでおあつらえ向きのように晴れた瞬間。光り輝く山の雄姿。「いつもながらのわざとらしさが嬉しいぞ」とは、そうやって日々ドラマチックな旅を続ける劇画調の人生に対して主人公自身が発したセリフと思える。そしてまた、読者としての私たちが、心の内で主人公に投げかけている言葉でもあるだろう。

バブル後の最安値また更新し崩れつづくるものもう一つ

『蒼の重力』には、証券会社の駐在員として海外で暗闘する日常も描かれるが、こちらの歌のように単に「崩れる」ではなく「崩れつづくる」というとき、巨大な山塊のようにとてつもなく大きな容積のあるものが流出していくという印象を受ける。山への「信仰」と重ねるように、主人公が信じようとしたもう一つのものの凋落がここに描かれている。

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