澤村 斉美


日にうとき庭の垣根の霜柱水仙にそひて炭俵敷く

正岡子規

正岡子規は、明治31(1898)年2月12日から、新聞『日本』紙上で「歌よみに与ふる書」の連載を始めた。今日この日から数えて113年前のことだ。第1回では、鎌倉時代の歌人・源実朝を激賞し、江戸時代の歌学者・賀茂真淵は万葉が分かっていないという。世間の人や真淵の退ける万葉の歌の中に、自分の好むものがあるという。2月14日の第2回「再び歌よみに与ふる書」では、古今和歌集批判を行う。以後、十たび(3月4日)まで、ほぼ1~4日おきで掲載される短歌革新の論に、当時の歌壇内外の読者はどんなに心騒いだことだろう。賛も否も反響大きく、子規は「やりかけたものなら死ぬるまでやる決心に御座候」と友人(愚庵)への書簡にその覚悟を書いている。

子規は、連載と並行して、『日本』紙上に「百中十首」を発表し始める。これは、自作の100首を歌人や俳人に送り、選んでもらった10首を順次掲載するというものだ。今日挙げた歌はその「百中十首」のなかの1首。明治31年3月6日の掲載である。

日の当たらない庭の垣根のもとに霜柱が立ち、そこに水仙が見える。水仙に添わせて炭俵を敷かれている。炭俵は炭を包むための俵。霜柱が溶けて土がぬかるみ、水仙の根が浮くことを案じて炭俵を敷くのだろう。のちの写生の論には遠い歌だが、「炭俵」という季語が用いられていることからも分かるとおり、俳句の特性が生かされている。目についた日常のものを手早く、リズムよく言葉にする心地よさがあり、活きのいい心のはたらきが感じられる歌だ。最晩年の生のくるしみのにじむ歌も良いが、短歌革新の入り口にあったこのような歌もとてもいい。