黒瀬 珂瀾


雪を落とすために震える黒い傘細部まで見よという声がする

棚木恒寿『天の腕』

雪降る中を、黒い傘をさして歩いてきた。ひとまず到着し、傘をたたむ。帰宅したところかもしれないし、ようやく駅に着いてこれから遠出するのかもしれない。傘をばさばさ鳴らして、融けかけの雪を落とす。そのとき、自分の脳裏にも声が落ちてきた。「細部まで見よ」、と。

ということは、作者の心中には、「自分は細部まで見ていない」という負い目がある。声の主は誰か。一番現実味のある答えは「歌の師か、歌会の仲間」だろう。自分の歌に対して、細部の描写が甘い、という批評が出た。とするとこの歌は、歌会を終えた作者が、その帰路に批判の声を反芻しているという状況になる。

それだけでもよいが、それ以上の緊迫感がこの歌にはある。道連れに選んだ「黒い傘」。たぶん、この「黒」に作者の思いが込められている。雪が降りしきり、視界は悪い。そういう状況に黒い傘を選んでしまう心とは何だろう。それは、先が見えない「人生」の中でさらに、顔を隠す傘を欲する、心の弱さを指すのかも知れない。細かい機微、精緻な心のやり取りから目を背けたくなる心。その心に向って「細部まで見よ」と諭す声の主は、神かもしれないし、もう一人の自分かもしれない。

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どの歌にも、この作者ならではのシャイな心が刻印されている。彼はこの上なく「細部まで見て」いるのだが、それを堂々と自分の美質に数えることが出来ない。だからつねに、誰かの「細部まで見よ」という声を聞きながら、歌を作っている。