江畑實『瑠璃色世紀』
高層ビルの解体には、上から崩してクレーンで降ろしたり、ジャッキアップして下から壊したり、色々と方法があるようだ。だが、この歌の場合は、一瞬で爆破するやり方らしい。高層ビルが砂の滝のように、まっすぐ下にずざざざあっと崩れる映像を見た事があるが、あれはまさに職人芸だ(日本では規制があるらしく、ビル爆破はほとんど行われないようだ)。
崩れゆくビルの中に、まだ誰かがいた。その断末魔の叫びが、作者の心に突き刺さって離れない。その誰かは人間ではなく、ビルにとりついた「魂」だったという。よほどそのビルが好きだったのか、それとも、ビルに何か恨みでもあったのか。ビル内部には経済戦争、経営争いが絶えないだろうから、後者かもしれない。だがそうしてビルにしがみついているうちに、その魂はビルもろとも瓦礫の山に消えた。
そう考えるとこのビルは、現在の社会そのものを指し、この魂もまた、私たち自身を示すのかもしれない。今までの生き方にしがみつき、変わることを拒否し続けていると、いつか社会もろとも私たち自身も、一瞬のうちに解体されてしまうかもしれない。そしてこの奥に、ニューヨークのワールドトレードセンターの幻を見てもよい。
わが胸の虚ろにひびく地下鉄の発信音がため息めきて
リストラ合議よりのがれ来て恍惚と見入るらせんの非常階段
江畑の歌には、企業勤務者として現代社会を生きる日々の中で、一瞬一瞬に見える世界の裂け目が鋭く刻印されている。それはどこか悲劇的でもありつつ、常に遠ざかりゆく「美」への強烈な憧憬に思えてならない。