澤村 斉美


戸棚よりコーヒーカップ取り出しぬそつと世界のどこかに置かむと

香川ヒサ『PAN パン』(1999年)

戸棚からコーヒーカップを取り出す。置くところといえば、テーブルなどだろう。しかし、下句で「世界のどこかに置かむと」という。コーヒーカップの置かれる小さなその一か所を、「世界のどこか」、つまり名前のついていない場所として捉えなおすのだ。コーヒーカップを置くこの場所はいったいどこだろう、それを置く私がいる場所はいったい何という所だろう、と、問いが深まっていく。コーヒーカップを取り出すという日常の何気ない行為が、哲学的な問いへと鮮やかに転換される下句だ。

 

「世界」、また「神」という語が頻出し、世界の成り立ちへの問いを深める歌集である。こんな歌もある。 

  いつさいはこの一点より始まれり 雨滴が窓のガラスを走る

窓につく無数の雨滴のうちの一つが垂れて、窓を伝いはじめる。その道筋にあるいくつもの滴と交じりながら、窓ガラス全体の相貌を変えてゆく。その予測のつかない変化の始まりの一点が、最初の一滴なのだという。上句の箴言的な言い回しが、窓の雨滴の景色のみならず、変化しつづける世界、あるいは歴史を思わせる。

 

雨滴の伝う窓ガラスを眺めるように世界の全貌を眺めることは、私たちにはできない。世界の文脈を知り尽くすことも。しかし、ここはどこなのか、と問い続けること、見通そうと目を凝らすこと、思考し続けることをあきらめてはならない。日常の細部にも、問いと思考の契機は宿るのだ。