黒瀬 珂瀾


心強く生きがたきかな晩夏光輝く茄子の畑にゐたり

板宮清治『麦の花』

 

単純な一首である。ひねりも際立つ技巧もない。しかし、この一首を口ずさむたびに、腹の底から熱い活力のようなものが湧いてくるのを感じる。それは、ぎりぎりまでに削り込まれた、ストイックな文体のせいもあるだろう。たしかに文字通りの内容はポジティブではない。しかし、背景を満たす晩夏光を仰ぐ時、そこに立つ一人の人間の強さが感じられる。「心強く生きがたき」逆境を、それでも生きねばならないという、反語的な決意がにじみ出る。

 

この畑では秋茄子を収穫する予定なのだろうか。輝くのはあくまでも「晩夏光」だが、若い茄子の実もまた光を反射し、晩夏光に呼応しているように思える。深い紫が畑のすみずみで艶めき、黒く翳る逆光を想起させる。そのとき、強烈な晩夏光も黒い光となり、あらゆる視界を覆いつくす。その中心に一人たたずむ作中主体の心の葛藤が、ダイレクトに読者に伝わってくる。

 

  塩水に浮く種籾をすくひつつ思ふ勤勉なる農ならず

  除草機を押す人をりて海よりの風絶え間なし青き稲田に

  青稲の穂を吹くあらし限りなく線路の土手に吹き寄するかな

  心騒ぐ青年の時過ぎにきと穂麦の香たつ畑にゐたり

 

岩手県で長らく農業に従事する作者。「勤勉なる農ならず」とは「心強く生きがたき」と同義だろう。しかしながら、これらの歌の堅実かつ簡素、丹念な文体が表すのは、勤勉なる精神以外の何物でもない。そうして、強き心を求めて悔恨をかみしめた一人はいつしか、「心騒ぐ青年の時」を過ぎ、同じように畑の中に立ち尽くす。畑も田も、作者にとっては生きる糧そのものであり、人生の舞台なのだ。