澤村 斉美


このごろは近視がすすみ裸眼では生徒の群れがゲルニカに見ゆ

大松達知『アスタリスク』(2009年)

「このごろは近視がすすみ」と自らの視力を嘆くようななにげない口調でこの歌は始まる。ふだんは眼鏡をかけていて暮らし、目の前の生徒たちの姿を見ているが、ふと眼鏡を外して裸眼になると「ゲルニカ」に見えるのだ、と、下句への展開が意表を突く。

教師である作者は、日々教壇に立ち数十人の生徒の群れを前にする。「ゲルニカ」はピカソの絵画を指しているだろう。スペイン内戦中にナチスの空爆を受けたスペイン北部の都市・ゲルニカを主題とし、苦しむ人らを描くこの絵の、泣き叫ぶ人らの姿を思い浮かべる。普通の学校の、日常にいる生徒らの姿が「ゲルニカ」に見えるというのはかなりドキリとさせられる表現だ。作者は、自らの視力の悪化を嘆く口調に紛わせるふりをしながら、生徒らが表立っては見せない憂鬱や、学校が抱える苦しさをを示唆する。

日常に潜む、得体の知れない「憂鬱」に切り込む歌は作者の歌に多くみられ、同じ歌集では次のような歌が印象的だ。

〈小郡〉が〈新山口〉になりしごと知らぬ間にわれら新世界にゐん

満員のスタジアムにてわれは思ふ三万といふ自殺者の数

国産のウナギばかりを善として、とほくナショナリズムとつながる

「裸眼」とは、日常の奥底にひたひたと浸みてくる社会の心性を見抜く、そんな作者の視線の比喩ともなり得るかもしれない。