お笑いの画面を消しておもむろに笑わぬ前の顔に戻しぬ

石田比呂志『邯鄲線』(2010年)

 

 

テレビのお笑い番組、くだらないと思いながらも屈託なく大笑いしたあと、確かにこの歌にあるような感じを覚える時がある。

顔は勝手に戻っているのだが、自分が操って戻したかのようなぎこちなさ。
これは何だろう。
たとえば、人と会話していて笑ったあとなどは、もっと自然に顔は戻っているような気がする。というか、戻ったとも気づかない。

テレビ、またお笑い番組という人工物によって、その場限りのうすい笑いを笑ったあとの、あるむなしさ。

 番組は終わったが、まだ他のものが続いているというのではなく、スイッチを切ったことも大きいのだろう。
急に戻った静寂の中で、独りにかえると同時に、“戻った顔”にあるものが敏感に察知された。

 

たとえ爆笑といっても、それはひと色ではないのだと思う。。

自然で、豊かなものでない笑いが、その後、人をいっそう寂しくさせる。

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