加藤治郎/にぎやかに釜飯の鶏ゑゑゑゑゑゑゑゑゑひどい戦争だった

加藤治郎第三歌集『ハレアカラ』(1994年・砂子屋書房)


本当はこの時期に平成という時代を象徴する歌として、4月3日の黒木三千代の歌と連続して何首か紹介するつもりでいたのだが、なかなか予定通りにいかない。

 

加藤治郎の第三歌集『ハレアカラ』には平成2(1990)年11月から平成5(93)年11月までの作品が収録されており、初出一覧によれば、今日の一首は平成3(91)年の作である。

 

にぎやかに釜飯の鶏ゑゑゑゑゑゑゑゑゑひどい戦争だった

 

「釜飯の鶏」は細切れにされた鶏肉であるけれど敢えて旧仮名で書かれる「ゑ」の擬音は、視覚的な印象も強く、列になったニワトリの姿にも見えてくる。だから「にぎやかに」は釜の中で沸騰する具材としてもリアルであるし、何羽ものニワトリが首を動かしながらゑゑゑゑゑとしわがれた声で言っている騒がしさも思わせる。ドラえもんの道具に、「タイムふろしき」というのがあって、それをかぶせると、かぶせられたものの時間が進んだり戻ったりするのだが、この歌はまるで釜飯にタイムふろしきをかけて、死んで調理された鶏肉がニワトリに戻ってしまったみたいなグロテスクさがある。

 

さて、それにしてもこのタイムふろしきは果たして本当に時を戻したのか。それとも進めたのではないか。いや、タイムふろしきをかぶせられたのは実は釜飯ではなくて周辺の時代ではなかったか。そんな疑問がふと湧いてくる。時空間が歪んだことで突如ここに出現してしまった「ひどい戦争だった」というつぶやきは、一体、どこの、誰のものなのか。平岡直子が「外出」創刊号で、以下の五首を挙げながら、

 

きみが首にかけてる赤いホイッスル 誰にもみえない戦争もある/正岡豊
戦争が(どの戦争が?)終わつたら紫陽花を見にゆくつもりです/荻原裕幸
戦争に行ってあげるわ熱い雨やさしくさける君のかわりに/江戸雪
電車のなかでもセックスをせよ戦争へゆくのはきっと君たちだから/穂村弘
戦争がしたい 広場の噴水に誰かが靴を落としていった/吉田竜宇

 

 たとえばこれらの歌、このなかに真正面から歴史や社会を主題とした歌はなく、どの歌においても「戦争」は個人の強い感情などをあらわすモチーフとして使われているけれど、それでも具体的なあるひとつの戦争が念頭に置かれた上で、「戦争×(戦争からの距離)」という公式でつくられているように思う。それぞれ優れた歌だと思うけれど、その秀歌性がこの公式のもつ魔力を証明もしている。戦争の生々しさがこれだけ薄まっている、と、濃度を示すことが即ち生きている時代を示す指標になり、批評になる。その強い目印から遠ざかることへの不安や苛立ちすらこれらの歌のなかには書き込まれている。

 

と書いていて、とても面白く思ったのだけど、「ひどい戦争だった」という過去形は、戦争からの時間的な距離をまずは考えさせる。ただ、その距離が、つかめない。戦争が終わった焼野原で鶏たちだけが「ひどい戦争だった」と言っているような気もする。その光景は行くところまで行ってしまった人間たちの姿を魔界の生き物が嗤っているような薄気味悪さがある。時間的な距離というよりもこの場合、戦争の主体としての「人間」を俯瞰するような異空間が出現している。一方で、「鶏は三歩歩くと忘れる」というように、戦争が急激に過去にされた時代にあって、皮肉にも三歩歩くと忘れる鶏のほうが「ひどい戦争だった」と虚無的に繰り返している感じもする。昭和は、右肩上がりの高度成長期のなかでどんなに戦争から遠ざかったように思われても、戦争が昭和に起きたことに変わりはなかった。昭和はあの戦争の時代であったのだ。けれど平成になったときはじめて戦争は本当に過去にされたのではなかったか。その点で、この声は「平成」を象徴する声であると思う。みんな忘れてしまって「ゑゑゑゑゑゑゑゑゑひどい戦争だった」と鶏が言っているのは、「戦争」を起点に考えればその時点では予想もできなかった「未来」=「平成」であるのだ。そして、また、戦後、というものが臭いものには蓋、と言わんばかりに戦争に蓋をしてきた時代であったとすれば、その釜飯の蓋をぱかっとあけてしまったとき、釜飯の中から聞こえてきた禍々しい声。ゑゑゑゑという喉を絞るように発せられるこの声は常に生々しく今現在にべったりと貼りつく。

 

「ひどい戦争だった」という過去形は怖い。