生沼義朗


榛葉純/三次元、峠なゆたはまだいない 父娘(おやこ)ふたりでプリンを食らう

榛葉純「F」(「将棋短歌アンソロジー 3一詠」2019年)


 

昨日5月6日、東京・平和島の流通センター第一展示場で第28回文学フリマ東京が開催された。文学フリマとは、全国で開催されている文学作品の展示即売イベントで、出展者は長机半分のスペースに主として一般の書店流通に乗らない冊子や書籍、あるいはグッズなどを並べて販売する。内容も、小説やノンフィクションあるいは詩歌だけでなく、サブカルチャーや社会評論に類するものまで幅広く、販売物の対象年齢も様々だ。

 

会場には全体でおよそ1,000のブースが用意され、そのうち詩歌関連は現代詩が30、短歌・俳句・川柳などの短詩形が42サークル出展されていた。その中には、書肆侃侃房のような出版社もあれば、「ぬはり」のように結社で参加しているケースもある。最近は文学フリマの開催に合わせる形で刊行される出版物も増えた。

 

昨日は1時間半ほど会場に居て、結果15冊ほどの冊子を購入したが、その中でも特に面白かったのが、早稲田短歌会出身の榛葉純(しんば・じゅん)が編集発行した「将棋短歌アンソロジー 3一詠(さんいちよむ)」である。インターネット上で募ったメンバー8名が、将棋に関する短歌作品おのおの10首(榛葉のみ10首一連をふたつ載せているので20首となる)を寄せている。

 

掲出歌は、榛葉純の「F」の3首目。10首すべてが女流棋士や女性棋士に関する歌なので、「F」はfemaleのことだろう。

 

「峠なゆた」は、ドラマ化もされた漫画『将棋めし』(KADOKAWA)の主人公で、女流棋士ではなく女性棋士である。このふたつはまったくの別物で、本来棋士になるには男女に関係なく、棋士養成機関である奨励会の昇段規定を満たして四段、つまり正規の棋士にならなければならない。しかし、将棋は男女の競技人口差および実力差が大きいこともあって現在まで女性で四段になった者はいない。

 

一方で、プロの棋士で構成される日本将棋連盟には、アマチュアへ将棋を普及させて伝統文化を継承する役割もあるため、女性への普及などを目的に1967(昭和42)年に女流棋士の制度を作り、現在66名が活動している。説明が長くなったが、「三次元、峠なゆたはまだいない」という上句はその事実を踏まえたものである。この読点(、)は「に」の意味として使われているが、それだけでなく感慨を噛みしめるような間合いを持っている。

 

下句では一転して作中主体自身の現在の景色に引きつける。父と娘という状況や、プリンの道具立てが効いている。「食らう」という動詞を選び結句に配置したのも、女性棋士が未だに誕生しない現状に対する苛立ちが率直に表れている。

 

 

居飛車党は独自の死生観を持つさう主張するビルの口髭  雀來豆(じゃっくまめ)「ウィリアム叔父の将棋生活」

豊島がすべての駒を盤にならべ正座くずさぬ一時間あり  太田青磁「スキのないオールラウンダーが挑む壁」

詰むや詰まざるや秒読みの盤側の信玄袋のリップクリーム  しえすた「九×九の国」

世紀末に〈丸山名人〉ありし日を思う そのころ小学生のわれ  貝澤駿一「この一手あり」

バスケットコートの形に貼られたるテープの端に黒ずむ埃  森本直樹「いつか忘れる」

棚霧らふ舞鶴山のいただきに人間将棋の盤のみがあり  永山凌平「舞鶴山」

対話篇 缶コーヒーが冷えるまで夜の底なる棋士/哲学者  笠木拓「怪物のバラード」

 

 

他の参加者の歌から1首ずつ引いた。鉄道ファンにも、鉄道に乗ることを目的とする乗り鉄、列車の写真や動画を撮影を目的にする撮り鉄、電車の走行音や警笛、駅の発車メロディや車内チャイムなど鉄道に関係する各種の音を録音して楽しむ音鉄、鉄道模型の収集・製作・運転・ジオラマ作成をする模型鉄などいろいろなタイプがある。

 

同じように将棋ファンにもいろいろなタイプがあり、実際に将棋道場や教室などで対局する人もいれば、詰将棋を専らにする人もいるし、自分は指さないけれどテレビやネットの中継を見て楽しむ「観る将(観る将棋ファンの略)」という形態もある。

 

「3一詠」でも、他者、特にプロ棋士の対局の様子を詠んだ歌、プロ棋士そのものを詠んだ歌、自身の将棋を詠んだ歌に大別できる。細かい分析は避けるが、それぞれの関心の在りどころが作品の個性の反映されていて興味深かった。

 

さらに面白かったのは、太田青磁の「将棋のうた」という文字通り将棋を詠んだ歌を取り上げた文章で、よく調べている上に、今をときめく藤井聡太七段の祖母が「コスモス」に所属しているとは知らなかった。

 

「3一詠」には実は自分も参加したかったのだが、将棋を題材に10首作れる自信がなかったので、躊躇しているうちにエントリーの締切を過ぎてしまっていたのは今でも悔やまれる。

 

文学フリマの後、羽田空港の喫茶店で「3一詠」を一気に読んだ。それほど自分には面白くまた興味深い一冊だったが、惜しむらくは参加者が8名と少なく、また女性が少なかったことだ。ここにも将棋というジャンルが抱える問題点がなにか浮かび上がってくるようで、図らずも考えさせられるものがあった。