加藤治郎/ねばねばのバンドエイドをはがしたらしわしわのゆび じょうゆうさあん

加藤治郎第4歌集『昏睡のパラダイス』(1998年・砂子屋書房)


 

加藤治郎の第4歌集『昏睡のパラダイス』には、1994(平6)年~1997(平9)年までの歌が収録されている。

 

押収のドラム缶にはあるらーん至福の砂糖こそあるらーめ

宙吊りの鯨の腸があるめーり最もにがき管なるめーり

 

これらがけったいな歌に見えるのは「あるらーん」「あるらーめ」という文語を口語のように使用したオリジナルの手法による。こう言われただけで笑いがこみあげてくるところがあって、このふざけた言葉遣いの大胆なリフレインに脳がやられてしまう。たとえば、これをふつうに言うとしたら、

 

押収のドラム缶にはあるだろう至福の砂糖こそあるだろう(改作)
宙吊りの鯨の腸があるようだ最もにがき管であるだろう(改作)

 

あんまり上手くないけど、とりあえずこんな感じになるだろうか。これでも選択されている名詞によって十分特殊な歌ではあるのだけれど、原歌が持っていた破壊力は損なわれる。「あるらーん」「あるめーり」というハチャメチャさがエネルギッシュな破壊力となっているのだ。さて、一見、口から出まかせのように見えるこれらの歌にはそれぞれ、「一九九五・三・二二、教団施設を強制捜査」「旧ソ連型サリン工場だった。」という詞書が付されている。

 

一首目は、サティアンと呼ばれたオウム真理教の施設から押収されたドラム缶であり、「至福の砂糖」は直接にはサリンの原料などを想起させるが、この宗教、あるいはもっと敷衍してあの時代が求めていた欲望のメタファーでもあるのだろう。二首目の「宙吊りの鯨の腸」は本当にそういうものが使用されていたのかわからないのだが、工場の配管などがこのように比喩されたと読めばそこで作られるものの得体の知れなさが「あるめーり」「なるめーり」と相まって黒いぬめりを帯びてくる。

 

この2首を含む18首の連作「春のパラサイト」は1995年3月20日に起きた地下鉄サリン事件以降表面化した一連のオウム真理教事件をモチーフにしている。初出一覧によれば「短歌」1995年7月号発表作品であり、事件直後に作られたほぼ即詠と言っていい連作であり、また、事件そのものの内容を扱うよりも、当時繰り広げられた報道からのインスピレーションがそのまま定着されたような印象が強い。

 

前回の「ゑゑゑゑゑゑゑ」と同様にこの一連でも独特のオノマトペや表記にシュールなインパクトがあり、さらに「あるらーん」「あるらーめ」「なるめーり」などは、いかにもオカルト宗教の密室のなかで使用されていそうな特殊な用語、口調がイメージ化されていて、そういうイメージを享楽的に使用してみせるところの不謹慎さも含めて起爆力となっている。そして、そのような享楽的な不謹慎さこそが批評として成立する時代的背景があった。当時は連日のようにワイドショーにオウムの幹部メンバーが登場し、様々な憶測を呼ぶ発言を繰り広げ、さらには幹部それぞれのキャラクター性に魅力があって、単なる凶悪事件としてではなく、ブラウン管の向こう側で繰り広げられるあまりに非現実的でシュールな事件の展開に世間が総出で観客化していくという、つまりオウム真理教事件は世紀のエンターテイメントでもあったのだ。

 

『昏睡のパラダイス』の「あとがき」には、

 

オウム真理教事件や脳死問題、少年の殺人事件もそうだが、現実と妄想、生と死、善と悪の境界が疑われ喪われた世界に直面してきたのだと思う。日常を成立させている意識が消失した領域に奇妙な楽園を見出した人々は、全くの他者だろうか。

 

と書かれており、この、「日常を成立させている意識が消失した領域に奇妙な楽園を見出した人々は、全くの他者だろうか」という感覚こそが共有されていた時代だったのだと思う。

 

修行するぞ。修行するぞ。修行するぞ。(※詞書)

ねばねばのバンドエイドをはがしたらしわしわのゆび じょうゆうさあん

 

私がオウム真理教を思い出すとき、「麻原彰晃」よりも「ポア」とか、「サティアン」といった言葉よりも先にまず脳裡に浮かぶのはこの「じょうゆうさあん」である。もちろん、当時、教団のスポークスマンとして一躍有名人となった上祐史浩のことなのだが、けれども、この「じょうゆうさあん」はもうこれ自体が私の中でひとつの象徴性を持ってしまっていて、「ねばねばのバンドエイドをはがしたらしわしわのゆび」と「じょうゆうさあん」の平仮名で書かれたことの糸を引くようなねばねば感はなんだか知らないが異常にマッチしていて、あの事件の得体の知れなさのなかで「じょうゆうさあん」がお寺の鐘のように頭の中にこだます。なにより事件の加害者(上祐自身は一連の事件に関与してはいなかったが、首謀団体のスポークスマンであったことに変わりはない)を「さん」付けで呼ぶという、言葉からの接近の仕方が群を抜いている。

 

現在では、被害者への配慮などからこういう作品は作られにくくなっている。それも、当時は阪神淡路大震災直後でもあった。東日本大震災の年の自粛ムードを思えば、あり得ないほどにオウム真理教事件が特殊なかたちで人々の関心をさらっていたのであり、「春のパラサイト」一連は、オウム真理教事件という特異なモチーフと加藤治郎の言語能力とが享楽的な反応を起こすことがそのまま平成初期の時代性を反映しているのだ。