うにがわえりも「無敵のこころ」(「はなぞの」創刊号・2019年)
前回に引き続き、5月6日に行われた第28回文学フリマ東京で購入した冊子を取り上げる。
谷村行海(たにむら・ゆきみ)編集発行の「はなぞの」は、1995年(平成7)生まれによる短歌同人誌で、今年5月刊行の創刊号には13名が参加している。5首・10首・15首から作者が選択する形で作品を寄せていて、5首一連が1名、10首一連が6名、15首一連が6名という構成である。各々の作品に付されている短いプロフィールによると、掲出歌の作者うにがわえりもは「かばん」と「塔」に所属しているが、参加者の多くが学生短歌会所属または出身者のようだ。作品はほとんどが口語ベースで、20歳代前半の若者の感性や抒情にあふれている。
掲出歌の「ルマンド」は菓子メーカー・ブルボンの商品で、クレープ生地を何層にも重ねて焼いたものをココアクリームでコーティングした、スティック状のお菓子である。「中を覗けば」は、おそらく一口かじったルマンドの断面をのぞきこんだのだろう。その中に「はつなつの海のうねり」を見た。「海のうねり」自体はルマンドの断面の形状から来る連想かもしれないが、「はつなつの」は、作中主体の感性がなせる技で、高い詩性を感じる。と同時に鼻につくぎりぎり手前のところで詩性は留められている。「目の前にくる」も臨場感を醸し出す結句で上手い。他の作品も詩性の高さと描写力の確かさに好感を持った。
短歌作品ももちろん面白く読んだが、冊子には短歌だけでなく、連作誌上歌会の記録や1995年に関する企画もある。なかでも興味を惹かれたのは、「九十五年のトピックによるテーマ競詠」で、「地下鉄サリン事件(オウム真理教)」と「コギャル」のテーマでそれぞれ6人が1首ずつ詠んでいる。
そのあとの記憶しかないぼくがいて 地下鉄駅にはごみ箱がない 布谷みずき
1995年に生まれたわけだから、その年の3月20日に起きた地下鉄サリン事件をリアルタイムでは認識していない。上句の「そのあとの記憶しかないぼくがいて」には、事実がありのままに提示されると同時に、後の記憶しかないのは別に自分の責任でも何でもない感情が冷静に語られる。サリン事件の際に地下鉄の駅のゴミ箱にサリンが仕掛けられたわけではないが、その可能性を取り除くために地下鉄だけでなく駅のごみ箱はいったんすべて撤去された。2005(平成17)年頃から東京メトロの駅でもまたゴミ箱が設置されたが、前と違ってスケルトンで、投入口も小さく大きなゴミは入れられず、施錠され中身も取り出せない。下句の「地下鉄駅にはごみ箱がない」も事実を淡々と述べるが、込められた感情は最小限に抑えられ、事件の後の景色が端的に提示される。
プリクラで顔を漂白して帰ろうもう世紀末ではないから 森永理恵
「コギャル」もまた1995年のトピックだった。『大辞林』(三省堂)にコギャルの項目が立項されているのにも驚いたが、それによると「流行の派手な服装をし、盛り場などに集まる女子中高生」で、語源は「高校生ギャル」の略からとも「小ギャル」からともいう。1995年は自分はちょうど20歳だったが、少し下の世代の「コギャル」はガングロメイクや厚底ブーツなど、かなり異様な存在感を放っていた。おそらく当事者以外はみなそう感じていたのではないかとさえ思う。
「プリクラ」はコギャルと違って今でも存在しているが、これも時代のキーワードで、2000(平成12)年頃に大ブームとなったが、発売されたのは奇しくも1995年だった。「顔を漂白して」という表現は、撮影するときのフラッシュを指すと読んだが、現在の美白傾向をも踏まえているのだろう。「もう世紀末ではないから」にも、1995年から2000年頃にかけての、既にバブルははじけて経済的にも社会的にも停滞した、しかし妙に明るい空気が漂っていた時代ではないことへのかすかな羨望と批判が込められている気がする。
1995年の新人賞で受賞または上位作品を考察した、うにがわえりも「江戸雪「ぐらぐら」を読んで」と、谷村行海「河野小百合「私をジャムにしたなら」を読む」も、意欲的な文章で興味深かった。願わくは、複数名の共同作業でいいので、他の受賞作や上位作をも横断的包括的に読んでほしかった。
最近は、1971(昭和46)年生まれによる「ないがしろ」、1973(昭和48)年生まれによる「OCTO」、1996(平成8)年生まれによる「ぬばたま」、あるいはその年に40歳を迎える歌人が競詠し、毎回メンバーが替わる「フワクタンカ」など、年齢属性による同人誌やアンソロジーが増えた。
自分も、1975(昭和50)年生まれアンソロジー「真砂集」に参加したが、同年生まれの企画には結社誌や同人誌とはまた違う連帯感があり、同時に各作者の作品的現状を端的に示す役割もあって、現状を示すカタログという意味で資料的価値があると思う。一方で、こうした冊子のみを読んでこの世代の作品的傾向はこうだと決めつけたり思い込んだりは避けなければならないのは言うまでもない。
いずれにせよ現在の状況は活況であり、これが長く続くことを祈る。「はなぞの」は同人誌と銘打っているので、メンバーの変化はあるかもしれないが、今後も刊行を継続する意志があるということだろう。ぜひコンスタントな刊行と充実した内容を見せてほしい。