生沼義朗


市原克敏/わがゆびの影をいぶかる蜘蛛といる蜘蛛に流れる時間の外で

市原克敏『無限』(不識書院・2004年)


 

市原克敏(いちはら・かつとし)は、1938(昭和13)年生まれ。1970(昭和45)年に木村捨録(きむら・すてろく)の「林間」に入会、後に同誌の編集人を務めた。また1997(平成9)年に創刊された総合誌「短歌朝日」(朝日新聞社)にも編集スタッフとして参加していた。2002(平成14)年の5月3日に亡くなっている。享年63。30年以上の長い歌歴を持つが、生前に一冊の歌集も持たなかったため、遺歌集である『無限』が唯一の歌集となる。

 

『無限』を繙いてみてまず気がつくのは、特徴的な目次である。目次にはもちろん小見出しが並ぶのだが、「われはショアーなり」「落ちてくるぽたりぽたりと」「アメリカが撃ち殺したるは」「パトモスのしじまの底の」「イスラエルお前は殺しの」「ちはやぶる神もさくらも」など、すべてが独特の雰囲気を持ったフレーズであることだ。もちろん遺歌集である以上、これらの小見出しは市原自身がつけたものではない。実はほとんどが一連の最初の一首の初句二句から取ったものだ。しかしここには確かに市原の個性が息づいている。

 

また、濃淡の差はあるが、どの一連も連作や主題制作への意志が強いことも特徴として挙げておきたい。市原が制作時に必ずしも連作としてものしたわけではないかもしれないが、『無限』のおのおのの一連を読んでいると一首一首が濃密に絡まり合って一連の空気を醸成しているような感覚があった。

 

これは、市原の歌の特徴である思考や思索の大きさと、一首一首の歌が時間や空間や世界を含んでいることと無縁ではない。別の言い方をすれば歌に哲学があり、モチーフがその哲学を含む。そうした思念と抒情とモチーフの相関関係が独特の作品世界を構築しており、それが一連の空気に色濃く反映されている。

 

掲出歌は、2001(平成13)年8月の「水平に横たわるとき」一連8首の7首目。作者の眼の前にたまたまやってきた蜘蛛とのささやかな景色と時間を描きつつ、蜘蛛の外に流れる、つまり人間の、ひいては地球の時間を意識している。「影をいぶかる」は一種の擬人化であると同時に、作者の思念や感情が投影されていると見る。描かれている意味内容はどうということはないかもしれないが、時間に対するスパンの大きな思考が流れている。

 

 

ガス室の壁よりもなおガス室の壁らしくみゆキーファーの灰

 

1992(平成4)年秋の作品。「キーファー」は、戦後ドイツを代表する画家のアンゼルム・キーファーで、ナチスや世界大戦を題材にした作品で知られている。「灰」は灰色ということだろう。四句まで費やした描写に、展覧会で見た景色を通した事実の重みと市原の思念と抒情が投影されている。平易な表現だが、それゆえにナチスへの、そして戦争という非人道的行為への怒りが率直に滲む。市原にとって戦争もまた詠うべき大きな主題のひとつだった。

 

 

垂直にキリスト像の立つ日なり有刺鉄線焦げゆく日なり

 

 

1999(平成11)年12月の作品。市原は若い頃からキリスト教に接してきたからでもあろうが、市原には神を思い問う作品も多く、作品に大きな底流をなしている。「キリスト像の立つ日」は具体的な何かを指しているのではないと思うが(12月の作品だからといってクリスマスを想像するのは短絡的に過ぎる気がする)、冬晴れの日の下ですっくと屹立するキリスト像を連想する。文体的には対句構造で、すなわち「垂直にキリスト像の立つ日」と「有刺鉄線焦げゆく日」はイコールと読む。具体的な背景はこの一首からも、一連の他の歌からもわからないが、下句の表現からは確かに世界のキナ臭さと作者の焦燥が見て取れる。

 

自分も市原には何回かお会いする機会があり、おそらくその意味では市原に会ったことのある最後の世代ではないか。私事だが、実は自分が最初に受けた総合誌の作品依頼は今はなき「短歌朝日」の作品8首だった。掲載後に何かの会でお目にかかった際、その少し前に取った短歌人新人賞の作品を読んで依頼して下さったことを知った。

 

実際に市原を知っている人は皆知っていると思うが、いつも聖書や宇宙や時間の話をしていたのをよく覚えている。その膨大な知識と思想に支えられた作品であることを、『無限』を再読してあらためて感じた。