夕焼けて小さき鳥の帰りゆくあれは妹に貸した一万円

北山あさひ『崖にて』現代短歌社,2020

夕暮れ時。空にちいさな点がひとつ。鳥ということはわかるけれど、何の種類かはわからない。

ここでわたしたちの思い浮かべるベターな光景は、茜色の空をバックに、黒いカラスがふにゃふにゃと飛んでゆく、というようなもの。

「からす なぜなくの…」で始まる野口雨情の童謡は、子をおもう母ガラスのうたですが、どちらにせよ、このうたのモチーフである「夕焼け」に「鳥」が「帰りゆく」という要素は、絵に描いたような家族愛や郷愁を彷彿とさせるものかもしれません。

 

このうたも四句目の「あれは妹に」まではその流れに寄り添います。「小さき鳥」に「妹」の何かしらを重ねて詠んでいる。
なんだろうとおもっていたら、とつぜんのお金の話。

遣る瀬無さも諦念も感じさせながら、とても迫力のあることを言っている。

 

きっと、ほんとうに言いたかったのは、返ってこない「一万円」。
たっぷりの字数と情景を割いて描いた「夕焼けて小さき鳥の帰りゆく」は序詞のように作用し、
あるいは、「妹に貸した一万円」との対比であるかのように配置されています。
「あれは」でイコールで結ばれるはずの「小さき鳥」と「一万円」が、このうたの中では全く真逆の意味合いも抱いている、という、とても不思議な構成をしています。

 

一首を通して読むと不思議なところは他にもあって、例えば冒頭で「小さき鳥」が何の種類かはわからない、と書きました。少なくとも語り手は、そこまで細かい認識を「鳥」には抱いていません。

あれは返ってこない一万円なんだ……と、ぼうっと空を見つめる作中の主体。

この歌の世界では、「一万円」だけがくっきりと輪郭を持っているのです。

 

眩しそうに、さびしそうに夕焼けを見つめるひとのうち、たった一人でも、こんな景色の見えているひとがいるとしたら。わたしにとって、すっとこころの軽くなるような作品です。

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