竜田揚げ食みつつうすき嘔吐感、くりかえし花吹雪のなかにいるよう

内山晶太『窓、その他』(六花書林、2012年)

 

竜田揚げを食べながら、ちょっと吐きそうになっている。うすい嘔吐感、嘔吐しそうな感じというのがあって、じっさいに嘔吐するわけではないけれど気持ち悪い。胃のなかのものが、もどりそうな動きをする。そういう感触だ。

 

「くりかえし花吹雪の」をながい四句ととって読んだ。しかし読点を挟みながら「つつ」をうけて「くりかえ」すのは嘔吐感である。嘔吐感はしずめないと嘔吐になる。しずめては食べ、食べては感じるそのが、読点にある。意味のうえでは

 

竜田揚げ食みつつうすき嘔吐感、くりかえし/花吹雪のなかにいるよう

 

というふうに句割れをおこしていることになる。それでもこの「くりかえし」は読点によって嘔吐感と隔てられつつ、字余りによって花吹雪と引き寄せあう。一首のなかではふたつをいったりきたりしながら存在しているようだ。またそのように、ふたつの体感が、かわるがわる綯交ぜになりながらやってくる。

 

花吹雪といったらわたしはまず桜のそれをおもいうかべるが、あの無数の死がぐるぐると渦巻き、そのひとつひとつが翻りながらひかりをかえす光景をおそろしくも鮮やかにおもいだす。そのただなかで、ほとんど酔ってしまいそうになる。くらくらとして目が回る。それは春が、くるたびに、くりかえされる。同じ歌集のつぎのようなうたたちと重ねておもう一首である。

 

野良猫のしずかな嘔吐、生きてゆくことのしずかな循環として

お魚のように降るはな 一生のはるなつあきを遊びつかれて

 

 

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