不祝儀の袋を買いに出でくれば月とはあの世へつづく抜け穴

久々湊盈子『風羅集』砂子屋書房,2012年

 

誰かの死の報を聞いたのだろう。葬儀に参列するために香典袋を買いにいく。違和感のある状況で決してはない。
一首においては、「出でくれば月とはあの世へつづく抜け穴」と続き、香典袋を買いに外出したことと月があの世へ続く抜け穴であることが結びつけられる。現実的な上句から超現実的な下句に転調し、普段の月とは異なる月が眼前にあるかのように感じられる。一首においては、日常と非日常が助詞「ば」によって強固につながれることで、主体の感情の揺れのようなものを含んだ上で、日常と非日常が継ぎ目なく提示される。
もちろん月はいつもと同じ月で、いつもと違うと感じられるのは主体の側に理由があるだろう。月は常にあの世へ続く抜け穴であるわけではない。
親しくしていた人や同年代の人が亡くなったとき、普段意識していない死というものが少しだけ身近になる。下句で提示される、月があの世へ続く抜け穴であるという把握は、死と主体との距離感が揺らいだことによってもたらされたものかもしれない。
一首からは亡くなった方との関係はわからないのだけれど、「抜け穴」という表現にはどこか亡くなった方を希求する感情がにじむ。「抜け穴」を通過すれば亡くなった方に会うことができる、そんな架空の可能性を一首は含む。
「抜け穴」であるということは、月は正規のルートではない。正規のルートについて考えることは難しいし、正規のルートがどんな経路をたどるかはその時になってみないとわからない。何よりも正規のルートである自己の死は一回性が強すぎる。
他者の死に触れることは、己の死にかすかに触れることでもあるだろう。一首を読むとそんな気がしてひんやりとする。

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