見ていたら夜が終わるのではなくて朝が始まるのだとわかった

谷じゃこ『ヒット・エンド・パレード』私家版,2016年

 

徹夜をして、あるいは明け方の暗いうちに目が覚めて、窓の外を眺めている。窓外はゆっくりと明るくなってゆく。ゆっくりと今日がはじまってゆく。
初句と結句に説得力がある。夜が終わるのではなくて、朝がはじまる。その把握を提示するだけなら、観念的になってしまいそうだけど、初句「見ていたら」によって提示される時間の経過と、「わかった」という語によって主体が発見した事実であることが提示されるために、一首からはひとりの人間の存在が感じられる。一首に具体的なものは描かれていないのだけれど、一首が描いている状況はなんとなくクリアに像を結ぶ気がする。
〈夜が終わり、朝が始まる〉という表現は慣用的に使われるけれども、実際には夜から朝への移り変わりは極めてシームレスで、夜と朝の境界は、明瞭には存在しない。
ただ、夜から朝に移り変わる際には、世界が明るくなっていき、視界にひかりが満ちていく。その状況は、「夜が終わる」というよりは、「朝が始まる」という方が適当に思える。
何よりも、「夜が終わる」よりも、「朝が始まる」と言った方が、世界が希望に満ちてゆく気がする。「わかった」という主体の呟きは、この発見を認識したという事実を提示しているのだけど、それ以上に明るく響く。

 

猫たちが思い思いに伸びをする世界は今日も平和ちゃうかな

 

歌集において、掲出歌の次にはこの歌が配されていて、やはりここで描かれている世界は明るく感じられる。世界は広く、把握できる範囲はひどく限られているのだけど、把握の仕方いかんで世界はどんどん明るくなっていく。
明け方に目が覚めて、今日がはじまるのを厭う心持ちになってしまう時、この歌を思い出して少しだけ安心してからもうひと眠りする。
今日が平和な一日でありますように。

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