淺川 肇『もう秋ですか』(魚影洞 2008年)
粉雪、氷雪、堅雪、ざらめ雪……雪にもいろいろな分類があるけれど、この歌の雪は、いわゆる「ぼたん雪」だろうか。結晶同士がむすび付き合って、一つずつが大きい。「枚」という助数詞が、広がった雪の大きさをよく表している。
そんな雪が、まるで「人閒」だという。ひらりひらりとたくさんの人間が降りてくる。あちらからもこちらからも降りてくる。
そんなことを思っているうちに、いつの間にか大雪になっていた。
ファンタジーの可愛らしい発想の歌、と一瞬思いかけて、そう取れないのは、結句の「大雪となる」のせいである。雪の怖いところは、いつの間にか積もっているところ。降り出したなと思っていたら、もうかなり積もっており、それはもうびっくりする速さである。「氣がして大雪となる」の助詞「て」一文字の中に、時間の凝縮・飛躍があるけれど、実際にも雪はこのように降る。そして、どこまで積もるかわからないことが恐怖の念を兆させる。
そんな雪が人間だとしたら。
「一枚」ずつの軽いいのちである。意思のない、亡骸のようないのちである。しかし、積み重なればそれは、たいそうな重みとなる。不思議な肉感というものが「大雪」になった途端に感じられてくる。
この歌を、人間の、あるいは、塊としての人間社会の、大いなる比喩として解釈することも可能だ。
上から下へと降る、不可逆としての雪の運命。そして、人間もまた。