日の字型の庁舎の廊を持ちまわる未決裁文書の重きゆうぐれ

内田いく子『廻廊』(北羊館 1994年)

 

 今は多くの会社や官公庁で、オンラインでの電子決裁が行われているのだろうが、少し前まではどこでも紙媒体だった。ドラマなどでも、新社長の机に大量の紙( =大量の案件)がどさっと載って、ひたすらはんこを押してゆくシーンがあったが、それに象徴されるとおり、はんこは承認の証であり、これがなければ組織の中で物事を進めることはできなかった。

 あっけなくはんこが押される一方で、そのひとつを切望しても、どうしてももらえない時もあっただろう。

 

 この歌では、未決裁文書を持ちまわっている。なぜか。「決裁」に挑戦したけれども、戻されたのかもしれない。あるいは、まだ、はんこをもらいに行く踏ん切りが付かないのかもしれない。いずれにせよ、その手元にある容易ではなさそうな案件は、他の用事で歩き回る自分と共に、日の字型の庁舎の廊下をぐるぐると動いている。

 「日の字」である。行き場がない。永遠に巡り続けることを運命づけられているかたちである。これは、逡巡する今の心情とともに、際限なく生み出される業務というもの、それをキリ無くこなし続ける自分たちという存在をも暗示していよう。

 ゆえに、結句の「ゆうぐれ」は、重い。(実際、紙の「文書」も重いが。) 今日も夜になろうとしている。

 

 歌集のタイトルは『廻廊』。この日の字型の庁舎を、何千回、何万回廻ったか。

 

  文学的語彙のいくつか削られてわが企画ようやく印刷となる

  女性係長の企画ゆえにと美しき語彙ひとつ生かされ成る通達文

 

 「庁舎」のなかの「文書」のなかに人間がいる。

 

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