ブッシュより野兎ふいに現れて我の視線を引っ張ってゆく

大森悦子『青日溜まり』本阿弥書店,2022年

ブッシュから野兎が飛び出す。日常生活の中ではあまり遭遇することのない場面だろう。

歌集は三部構成になっていて、オーストラリアでの生活、日本での生活、シンガポールでの生活と章立てされている。掲出歌はオーストラリアで暮らしていた一部に収録されたもの。ブッシュや野兎がリアリティのある存在として描かれている。
下句の「我の視線を引っ張ってゆく」が巧みだと思う。兎が飛び出して、駆けてゆく。主体はその兎を反射的に目で追い、兎と遭遇する前の視線と現在の視線がどんどん離れてゆく。「引っ張ってゆく」という語のちからで、作者の視線が一本の糸のような線として可視化され、その糸は走る兎によって伸びてゆくようなイメージを持つ。その時に主体の意思が介在する余地はあまりなくて、「引っ張ってゆく」という措辞はあまりにもぴったりだと思う。

一年にふたつの冬を持て余す南半球帰りのからだ

日本での暮らしを描く二部は、この一首が冒頭に配されている。南半球の冬を終えて帰国し、北半球の冬を迎える。結句の「からだ」に実感がこもり、その実感は体感の上に存在するものだろう。

本物より偽物高し合羽橋道具街の食品サンプル
発熱の繊維を謳うTシャツの発熱前が売られていたり
動かない夏霧のなか富士山は裾野だけでも富士山である

本物の食品よりイミテーションの方が値段が高い不思議さ。発熱して暖かいという触れ込みの衣服の発熱前の冷たさ。富士山と言われれてイメージするものと、言葉としての富士山の射程のずれ。二部には、日常を捉え直す魅力的な歌が多く配されているが、どこか一部で描かれた異国での生活が頭に残っていて、一首の驚きを底上げしている、そんなことを思った。

ひとりでの生活ではないとはいえ、海外での生活は時に孤独で、日本で暮らしている時よりも、思考の深度は深くなるのかもしれない。歌集を読んでいると、そんな異国での思考に、ほんの少しだけ触れることができるような気がする。

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