にしびさす書架の森よりあらはれて椅子のかたちに人は座れる

光森裕樹『鈴を産むひばり』港の人,2010年

図書館を思い浮かべる。
西陽が射し込む夕方の図書館。特定の個人を描写した可能性もあるが、「人」というかなり範囲の広い指定がされていることもあり、どちらかと言えば眼前の図書館利用者一般を指しているように感じられる。ぽつり、ぽつりと、書架が林立している場所から本を持って出てくる人がいる。そんな情景だろうか。

「書架の森」という比喩からは、本棚がある場所の薄暗さが感じられる。「にしびさす」からもたらされるイメージが美しい。「森」をなすほどの書架があるので、ある程度規模の大きな図書館だろう。また、森から現れる人々が手に持っているのは本だが、どこか木の実のような収穫物にも感じられる。無目的に書架のあわいを徘徊して面白そうな本を見つけたときなんかを想像すると、初句二句はぴったりだなと思う。

下句の把握が絶妙だ。椅子に座る、という行為に対して普段は何の疑いも湧かないが、「椅子のかたちに」と言われると、少し驚きそして納得する。背もたれにもたれて椅子に座る。それは確かに「椅子のかたち」だろう。椅子は自然には存在しない人間の創造物だ。椅子という、なんの変哲もない家具が、人間の姿勢を司っている。結句の連体形止めには小さな詠嘆がこもっているように思う。上句からのつながりで、椅子は、森から出て来た人間が座る不思議なアイテムにも思われるし、人工物である椅子が妙に強調されているようにも思われる。

本棚で本を探し机に座る、なんの変哲もない情景が、上句の比喩と下句の把握によって、どこか異界の出来事のように感じられるのだ。

[スタート]を[電源を切る]ために押す終はらない日を誰も持ちえず
そこだけがたしかにひぐれてゐる窓辺きみは林檎の光沢を剝く
ドアに鍵強くさしこむこの深さ人ならば死に至る深さか
半券をくちにはさみて暗闇を逃さぬための扉をひらく

同じく、『鈴を産むひばり』より。
「[スタート]を[電源を切る]ために押す」、「光沢を剝く」、「人ならば死に至る深さ」、「暗闇を逃さぬための扉」。これらの把握によって、日常の平凡な一風景が読者に強い印象を与える。いつもと少しだけ異なる角度で現実が把握され、それが言語化されることで、一首の歌として力強く立ち上がる。
これらの歌を読んで、日常の光景が不意に奇異に思えてしまうとき、今私が生きている世界が本当に実在するのか、少しだけ不安になってしまう。

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