スランプの僕の脳みそ唄うのはキリンレモンのリフレイン

樋口智子『つきさっぷ』本阿弥書店,2008年

実際に歌っているのか、頭の中を流れ止まないのかはわからないけれど、流れてくるのはキリンレモンのCMソング。「キリン、レモン、キリン、レモン、キリンレモン、キリンレモン、キリン、レモン…」というアレだろう。なんとなく懐かしい感じがしたのだけれど、YouTubeで検索すると、わりと最近のCMでも同様のメロディが流れていて、今も現役のようで驚いた。
「脳みそ」からの接続や結句字足らずは頭の中で流れているような印象を生むが、「唄う」の表記や「スランプ」「キリンレモン」の爽やかな印象からは声に出して歌っている感じがする。

印象的なのは結句の二音欠落だ。
〈キリンレモンのあのリフレイン〉とでもすればすんなりと定型に収まるので、かなり意図的な欠落に感じられる。軽やかなキリンレモンのメロディ。定型に乗せてしまえば、どことなく楽しげな雰囲気が漂うが、この欠落によってリズムがつんのめる。ただ、六音での字足らずよりも収まりがよくて、行き止まり感があると同時に、キリンレモンのメロディが無限に繰り返されそうな印象も生じる。
脳みそがスランプである主体。思考がうまくいかないから、キリンレモンのリフレインが流れてくるのだろうか。考えることを半ば諦めた脳が、脈絡なく流す無意味な音楽としてキリンレモンのCMソングは絶妙だ。

スランプなのはあくまで「僕の脳みそ」と限定される。「スランプ」という語の選択が、本来のあり得べき自分を想起させ、自分はこんなものではない、もっといけるはずだというような感慨がにじむ。キリンレモンの爽やかさと相まって、一首からは若さや青春性のようなものが立ち上がる。

キリンレモンはそれ自体は爽やかな炭酸飲料だ。ただ、短歌にそれがあらわれて、何度も繰り返えされるような提示のされ方をすると、麒麟、檸檬というように微妙に詩的なイメージが立ち上がる。スランプの脳が生んだ幻影のような感じがして面白い。

不在という空間のなか透明なキリンが闊歩している真昼/樋口智子『つきさっぷ』

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