台風に避難させし鉢玄関に溢れてふいに花屋の賑わい

橋本俶子『交野原』現代短歌社,2023年

台風が来る前に外に出してあった花の鉢植えを玄関内に仕舞い込む。日常動作とは言わないまでも、ある程度の規模の台風が到来すると繰り返される動作だろう。

五・八・五・七・八の構成で二句と結句が一音の字余りになっていて、どちらもぎっしりと詰まっている感じがある。
二句目の字余りからは、鉢植えが玄関を占めている感じが伝わる。靴が端にギュッと押されて窮屈そうにしていて、いつもはなにもない場所にも鉢植えが置いてある、そんな像が結ぶ。日常と異なる印象を強く与えるような事実が、淡々と述べられているように思われる。
結句の字余りは、眼前に広がる光景としては二句目と同様なのだけど、主体の認識が転換していて、「花屋の賑わい」と、非日常が明るく華やいで捉えなおされている。玄関の混雑が主だった二句とは異なり、鉢植えの花部分に焦点が当たっていて、妙に明るい。

「ふいに」は言わずもがなである気もするが、ここで主体の認識は転換する。状況も、眼前の景も同じなのだけど、主体の認識だけが変化している。
一首は主体の認識の変化を伝え、玄関先の華やぎを伝える。恐らく、台風はこれから到来するのだろうが、その手前にある非日常感に華やぎが付されていて、そういうことはあるなと共感できる。

その命絶えんとするにかたわらのわれの朝餉を問いし君はも/橋本俶子『交野原』
不器用な父と器用な夫ありきともに魚をきれいに食べき
「九条の会」のビラ受け取りし男性が黙ってキャンデー一つくれたり
家中のあかり灯して孫を待つ炬燵を出しに来てくれる孫を
子らの絵本みな捨てがたし秋の陽に開けば幼きささめき聞こゆ

『交野原』は分厚い年月が閉じ込められた歌集だ。巻頭には複数の羇旅詠があり、家族の歌があり、身を投じられた社会運動の歌があり、そして複数の挽歌がある。
人生の中で錘のような出来事を詠った歌に心は震える。人生を年表で表せば記されるような出来事は、重たい。

それと同時に、掲出歌のような日常の一コマを描いた歌も、そこには生の刻印が確かに宿っているように感じられて胸を打つのだ。一冊に込められた年月の重みを思うとき、歌集という形式でしか表現できないものが、確かに存在しているように思う。

交野原行きて帰らぬ一筋の光る帯あり終電ならん/橋本俶子『交野原』

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