だいもーん、だいもにおーん。アスファルトぬくきがうへのこころは念ず

阿木津 英 『宇宙舞踏』(砂子屋書房 1994年)

 

 のっけからの、熱のこもった呼びかけである。

 呪文めいた「だいもーん、だいもにおーん。」だが、これは何か。

 「ダイモニオン」は、ソクラテスに聞こえた神霊の声である。そして「ダイモン」はその神霊。

 つまり、大いなる超自然的な存在に向けて呼びかけているのである。

 

 この「ダイモニオン」= ダイモンの声 は、ソクラテスにしか聞こえなかったらしい。哲学者として心の中で対話するとき、あるいは、ダイモンとも話をしていたのだろうか。何かについての態度を決めるとき、進んで良いか引いて良いか迷うときに尋ねる。そして、答えをもらう。そういう存在が必要だったのだ。

 そういうことは、ソクラテスに限らず。

 

 ソクラテスはギリシャの人であったから、「ダイモン」も「ダイモニオン」もギリシャ語なのだろう。だが、この歌で仮名で書かれると、何となく、身近な、親しみ深い存在に思えてくる。たとえば、「だいもーん」は日本語にもありそうだ。漢字を当てるなら、「大門」や「大問」? おお、大きな問い。まさに、哲学的ではないか。

 そしてまた、ロボットの名前のようにも思える。助けを呼べば来てくれるロボット。たとえば、ドラえもん。のび太が「ドラえもーん」と叫ぶのと、「だいもーん」はとても似ている。他にも、変身物・戦隊物などのスーパーヒーロー・スーパーヒロイン、巨大ロボットなどのネーミングと、「だいもにおーん」は通じるようで。

 

 「アスファルトぬくきがうへ」なので、ここは舗装された道路だろうか。あるいは、駐車場のようなところだろうか。

 そんな、何ということのない道端で呼びかけている。心の奥底へ。あるいは、空に向かって。

 答えが欲しいのだ。今、ものすごく、答えが欲しいのだ。

 

 「私は念ず」ではなく、「こころは念ず」なので、こころがダイレクトに大いなる存在と繋がりたがっていることがわかる。割合に切羽詰まっている。頭で思考する余裕はない。「ぬくき」なので、絶体絶命という感じまではいかないけれど。

 

 何があったのだろう。この時、何が。

 だが、こんなふうに答えが欲しい時は、ある。

 自分の内なる、平仮名の、「だいもーん、だいもにおーん。」に問いたくなる時が。

 

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